第十章 ア・エヌ・クロパトキン将軍
第二段 新陸相クロパトキン
ワンノフスキー大将に代わり、クロパトキンが陸軍大臣に就任しました。
地方の軍司令官が帝国軍司令官になる
後カスピスカヤ州の長官をしていたクロパトキンは、過去の戦歴によって全ロシアに勇名をうたわれていました。
ペテルブルグから償還命令によって、後カスピスカヤ州から帰って来たクロパトキンは、まず陸軍大臣を訪れ次いで皇帝陛下のもとに参内しました。
陛下と彼との間にどんな相談があったかウイッテ伯には判らないのでしたが、事態は次の様な事になりました。
クロパトキンは、皇帝のもとを辞してオブルチェフの所へ行きました。
「陛下は、自分を陸軍大臣に、クロパトキンを参謀総長に任命したのだろう。
クロパトキンはきっとその事を報告に来たのだ。つまり参謀総長が陸軍大臣を訪れたわけだ。」
オブルチェフは内心そういう期待を持ってクロパトキンをむかえました。
ところが、クロパトキンが陸軍大臣に任命されたのだ、と聞かされたオブルチェフの驚きはどんなであった事でしょう。
そればかりでなく、当分参謀総長をも兼任するのだと言われて彼はすっかり怒ってしまいました。
ウイッテ伯にはその間の消息が良くわかるのでした。
上級者の前で阿諛する事の上手な、またロシアにおける噴噴たる名声を旨く利用する事を知っている若い将軍は、陛下に大きな感動を与え、そして陛下をして彼を任命する決心をださせたのであろうと言う事を。
後カスピスカヤ州とは、ザカスピ州の事と思います。
カスピ海の東側で、現在のトルクメニスタンとキルギスタンの事でしょう。
クロパトキンは軍人として大きなポカをすることなく出世しました。
そして、この後カスピスカヤ州の軍管区司令官となっていました。
民衆から支持があったのは広くロシア帝国の領地を広げるのに成功していたからでしょう。
ロシア帝国の軍人を多く知っているわけではありませんが、クロパトキンは十分陸軍大臣の職に就ける人のように思います。
当時ワンノフスキー大将の年齢が76歳、クロパトキンが50歳です。
ワンノフスキー大将から見てクロパトキンが経験不足であるように感じることもあるかも知れません。
第三段 世論が将軍を買い被る
関係者以外のクロパトキンの評価
クロパトキン将軍に対する世人の観察はみんな誤っていました。
当時もし無記名で、何人を陸軍大臣に任命すべきかを投票させたら、恐らく大部分の人はクロパトキンに一票を投じたことでしょう。
彼に対するこの世論の錯覚は、日露戦争当時なお相当に大きな勢力をもっていました。
彼が総司令官に任命されたのもそのためでありました。
さらに続けてウイッテ伯に言わせるならば、クロパトキンが総司令官に任命された時は、陛下の彼に対する熱は可成り冷めてしまっていました。
だから彼が総司令官になったのは陛下の引き立てというよりも世論と新聞の後援のお陰だと言った方が寧ろ妥当であるのでした。
〈ノウォエ・ヴレミヤ〉紙やその記者のメニシコフなどは特に彼をかついだものでありました。
ウイッテ伯もニコライ二世帝もクロパトキンの評価はあまり良くないようです。
ここでは、何がそうさせたのかは、判りません。
”ザカスピ州”.wiki pedia.(参照2023-05-26)
”トルクメニスタン”.wiki pedia.(参照2023-05-26)
”キルギス”.wiki pedia.(参照2023-05-26)
”アレクセイ・クロパトキン”.wiki pedia.(参照2023-05-26)
”Pyotr Vannovsky”.wiki pedia英語版.(参照2023-05-26)

