ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その019

ロシアの歴史 タイトルロシア

第二章 李鴻章と東支鉄道利権交渉

李鴻章  on wiki

第四段 李鴻章歓待の目的

ロシアでは諸外国を出し抜き李鴻章を歓待する様、行動をおこします。

どの国よりも早く李大臣を出迎えよ

ウイッテ伯のもとに、李鴻章がすでに海路を使い本国を出発し、近くスエズ海峡を通過するであろうとの報告を得ました。
彼と面識のあったウフトムスキー候を途中まで出迎えさせ、同伴して直ちに入露させる必要を感じました。
この時、英・独・墺の諸国でも、李がロシアに入るに先立ち、李を自国に迎える計画があるという諜報を得たからでした。
李を入露前に外国を旅行させる事は、彼を陰謀や入れ知恵の渦中に投ずる様なもので、ロシアの為に百害あって一利なき事は明白でした。
ウイッテ伯は早速このことを陛下に言上し、同意を得ました。
ただ、陛下はこのことが出来るだけ他の注意を惹かない様にしたいと希望していました。
ウフトムスキー候にその意を含め、ヨーロッパを立たせました。
ウフトムスキー候はスエズで李鴻章を迎え、他国から寄せられていた招待を受けさせないようしながらオデッサに向かいました。
李鴻章がロシアの地を踏む最初の都市で、李鴻章の官位に相当する儀仗兵をもって彼を歓迎し、彼の自尊心を満足させ、ロシアの精兵の壮観を彼に示しました。

ウフトムスキー候とは、エスペル・ウフトムスキー公爵の事だと思います。
ニコライ二世帝が皇太子であったころ、アジア方面に旅行をしたことがあったのですが、それに随行した方です。
また、公爵はアジアの文化に造詣が深かったそうです。「候」でなく、「公」かもしれません。

計画は説明しない!だが察しろよ

ウイッテ伯が李鴻章利用の事に苦心している際、同僚からあまりに露骨にロシア式官僚主義を見せつけされました。
陸軍大臣ワンノフスキーは、儀仗兵の事についてウイッテ伯から勅令を伝達したのに対し、詰問書を送り付け次の様に言ってきました。
「先刻貴下から伝達された勅命の趣は取り合えず命のまま取り計らっておいた。
しかしこの際、明らかにしておきたいのは、貴下はいつ何時かあら陸軍の事並びに陸軍省所轄の事務に関して、伝送の職を執られることになったのであるかと言う問題である。
儀仗兵の事は陸軍大臣の職権に属する事柄であって、大蔵大臣たる貴下の関与すべき事ではない。」


また、外務大臣ロバノフ候は、李鴻章は戴冠式挙行の日まで当分オデッサに滞在せしめるか、もしくはそのままモスクワで当日を待ち合わせるようにしたい。
彼がペテルブルグに入ることは何の必要もないことであるから、その事のない様にしたいと言ってきました。
何のためにこんな故障を持ち出したのか判断に苦しむものでした。


李鴻章が諸外国の招待を辞して、期日に先立って一路オデッサを経て入露の途についたには、我々がウフトムスキー候を出迎えにやり慫慂したからです。
彼等といろいろ交渉すべき事もあり、またそれを大禮を行前したいためです。
祭典騒ぎの最中に出会い行うべきでない事は何人も理解しうる所です。
ロバノフ候ほどの人物が今になってこんなことを言い出すには、何等か含むところがあるとみるほかなく、今更彼の言う様には出来ないので、やむなく陛下に奏上して適当な処置をとる他、なかったのでした。

ウイッテ伯は、同僚の大臣達に李鴻章に対する計画を打ち明けていなっかったのだと思います。ニコライ二世帝にだけ計画を打ち明け、事を運んだのでしょう。

陸軍大臣の越権行為に対する苦情も、外務大臣の外国人をロシア朝廷の中に容易に立ち入れさせたくないと考えるのも、当然の思考だと思います。

ウイッテ伯は、計画遂行の為周囲への配慮も、段取りもおろそかになってしまっているように思えます。

ウイッテ伯と李鴻章、対面する

ニコライ二世帝は、李鴻章をペテルブルグへ迎えるように命令をだいました。
陛下は李鴻章との交渉の一切をウイッテ伯に委任しました。
外務大臣であるロバノフ候は、一切交渉に関与しませんでした。
彼は極東の事にはあまり知識を持ち合わせていなかったので仕方の無い事でした。


李鴻章との交渉は大蔵大臣官邸の表敬訪問から始まりました。
その後、屡々彼と会見し、露清両国の相互関係について政治交渉をして行きました。


ウイッテ伯は最初の会見をする前に、清国の事情に通じたある人から次のような注意を受けていました。
「何事にも礼譲儀式を重んずる清国人に対しては、決して急いで決断を即してはならない。
それは彼等の間では無作法として最も険悪刷る所である。
だから、何時も悠々迫らざる態度をもって彼等に対さねばならない」


李鴻章が訪問した時、ウイッテ伯は小礼服を着込み第一の客室で出迎えました。
お互いに健康を訪ね合ったりし、できるだけ低く頭を下げて叩頭したりしました。
次の時は第二の客室に招き入れ、茶をたてて出迎えました。ウイッテ伯は李鴻章と相対して着席して、彼の随員やウイッテ伯の部下はいずれも起立させておきました。

煙草を進めると、李鴻章は恰も仔馬が啼く様な奇声を発しました。
隣室から彼の随員二人が水煙草の器具と煙草を捧げて彼の側に近寄って、清国風の吸煙の儀式を悠々と椅子に座しながら煙を呑吐するのでした。
煙草に火をつけるのも、煙管を口に添えるのも、一切従者がおこない、彼はただ煙を吹かすのみなのでした。
この大げさな真似は、外国人を威圧する用意であるのでしょうか。
ウイッテ伯は勿論何の気もつかぬ風をして平気を装うのでした。


一回目の会見の時はむろん何らの用談にも触れず、彼は先ずロシア皇帝陛下の消息を問い、皇后陛下や皇族等の起居を問うだけ、ウイッテ伯も清国皇帝や皇族等の起居を問うだけで、ご機嫌伺いと叩頭に時を費やしたのでした。
二回目の会見には彼は全然態度を改め、ずっと胸裏を開いて話をするようになったのでした。
会見を重ねるにつれて彼は開放的になり、お互いの間には何の隔たりもないまでになったのでした。

ウイッテ伯の対人対応能力はずば抜けていると思います。
相手の事を考え、資料を集め、実行する。
李鴻章は、東洋人として、かなり西洋人をあらゆる面で警戒していたと思います。
ですが、彼はすっかり打ち解けてしまったように思えます。

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