第十章 ア・エヌ・クロパトキン将軍
第六段 クロパトキンの日記事件
クロパトキンは日露戦争が始まると、陸軍大臣から満州方面の軍総司令官に任命されます。どのような経緯があったのでしょうか。
皇帝、クロパトキン日記を他人に手渡す
ニコライ二世陛下の治世に不幸な運命を与えたクロパトキンの事については、尚多くの事が書かれてゆくことになるでしょう。
また、彼は自分の事について大部の書物を書いているようでありました。
久しい以前から彼は日記をつけていて、今でもそれを続けているようです。
しかしこの日記は極端に主観的な事を巧みに表現した物、と言って差し支えないでしょう。
彼は数回、この日記の内のウイッテ伯との会話をウイッテ伯に読んで聞かせたことが有りました。
ウイッテ伯はいつもこの日記に書かれてある事が不正解というよりもあべこべの事が多い事を発見していました。
この日記については次のような奇妙な話がありました。
クロパトキンは陛下の意思により、自分の希望に反して陸軍大臣の地位を去ることになりました。
ベゾブラゾフ一派が戦争の直前に彼を追い出したのでした。
彼は外務大臣ラムスドルフ伯やウイッテ伯の意見に反対して、日本と清国の利益を無視した侵略政策に向かって皇帝を使嗾しました。
その事は「日露戦争の原因について」と言う議事録が立派に証明してることです。
しかし、ベゾフラゾフ一派が現れると、彼はなぜかこの一派の戦争促進策に狼狽して行きます。
彼はこの一派の勢力を嫉視するあまり、激しく彼等に反対し始めました。
そしてラムスドルフ伯やウイッテ伯に味方し始めました。
しかし彼等の勢力を征服する事が到底難しいのを知り、今度はこれと妥協しようと試みましたが、それは既に遅く、間に合いませんでした。
彼等一派は遂にクロパトキンを呼び出すことの方が早かったのです。
皇帝は、自らクロパトキンを罷免しながら、彼に陸軍大臣の後任者を推薦させました。
彼は数人の者を後任者として挙げました。
陛下は彼に、参謀総長のサワロフをどう思うかと問われた。
クロパトキンはサワロフがひどく不首尾になるようなことを述べました。
しかしサワロフは陛下と彼との会談が終わった後で、すぐに陸軍大臣に任命されました。
陛下とクロパトキンとのやり取りは、既定の慣例のものであり、陛下はただ一片の儀礼としてクロパトキンに聴いたに過ぎなかったのでした。
クロパトキンの最後(陸軍大臣として)の上奏報告の際でありました。
彼は、この報告の終わった後で罷させられようとは知らないで戦争開始に当たって取るべき必要のあった若干の計画と国民の公論の一致的希望について上奏していました。
彼がアレクセエフ大将の後任として総司令官に任命されたのも、この公論上奏がだいぶ手伝った事でありましょう。
その後クロパトキンが総司令官の任命を受けて皇帝の所へ参内した時、彼は陛下に会って陸軍大臣を辞める前に上奏した計画の遂行を願いました。
陛下は早速サワロフに命令するからと答えました。
その後で、彼が日記をつけているのを知っていた陛下は、命令の形式を整える為詳しい事を承知したいから、日記を提出せよと言われました。
クロパトキンはその日のうちに皇帝の所へ自分の日記を送り届けます。
彼の日記は二冊からなっており、初めの一冊に彼の上奏した計画が書かれてありました。
彼と皇帝との当時の会話は後の第二冊の方に載せられてありました。
皇帝陛下は、クロパトキンの提議した計画を、彼の日誌を参照して遂行するようにサワロフに命令した。その際、陛下は第一冊目の日誌を送るかわりに第二冊目を送ってしまいました。
サワロフは陛下の命令を読みながら日記を開いて見ました。するとそこには、
「私はサワロフの任命に反対する。彼は軍隊において重要な地位を占めた事が無く、老耄ではあり、またひどい怠け者である。」と書いてありました。
サワロフの陸軍大臣時代は余り長くはありませんでした。
彼の不遇は当時ニコライ・ニコラエウィッチ大公の勢力によって任命された事でありました。
大公は彼を通じて自分の手に有利な武器を握ろうと計ったのです。
ところが彼はその方法を誤りました。
彼は自分を任命してくれた勢力の手によって大臣を辞めさせられたのでありました。
クロパトキン将軍が、陸軍大臣から総司令官に代わる時の事ですが、判りにくかったのでまとめてみます。
- 外務大臣や大蔵大臣の意見に対抗し、極東方面の侵略政策を皇帝に提言。
- ベゾフラゾフ一派が宮廷内で勢力を増し、侵攻強硬策を述べ始めると、狼狽。
- この一派の勢力を嫉視し、激しく彼等の意見に反対し始める。
- 外務大臣や大蔵大臣の意見に同調し始める。
- 一派の勢力を征服する事が無理なのを知り、今度は妥協を試みる。
- 時期遅く、一派はクロパトキンを更迭させる。
- クロパトキンは陸軍大臣から満州方面総司令官になる。
クロパトキンは宮廷内で、ベゾフラソフと権力争いをしているつもりだったのかもしれません。
外交政策の意見が対抗勢力によってぶれてしまっています。
また、ベゾフラゾフがクロパトキンを総司令官に推し進めたのは、単に日露戦で勝利する手段だと思ったからだと思います。
クロパトキンの評判は戦場での勝利によって評価されていた筈ですので…。
ですが、クロパトキンの軍隊の統帥能力は伴っていなかったようです。
クロパトキンが消極的な戦いをしてしまったのは、やはり目前で大連の要塞が攻略されてしまった為だと思います。
その攻略した乃木将軍と対峙する恐怖から怖気ついてしまったのだと思います。
サワロフさんはかわいそうですね。戦争中だというのに宮廷内の勢力争いに巻き込まれてしまったようです。仕事に集中できなかったのではないでしょうか。

”Viktor Sakharov”.wiki pedia英語版.(参照2023-06-29)
”アレクセイ・クロパトキン”.wiki pedia.(参照2023-06-29)
”日露戦争”.wiki pedia.(参照2023-06-29)