ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その023

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第二章 李鴻章と東支鉄道利権交渉

満蒙問題関係ノ重要条約摘要
満蒙問題関係ノ重要条約摘要 on ajireki

第八段 天才外交家ロバノフ候

李・ウイッテ協約を元に協定書の原案がロバノフ候の手に依って作られました。ニコライ二世帝に承認ももらい、協定を結ぶ寸前です。

外務大臣ロバノフ候の才能

ウイッテ伯が李鴻章との交渉顛末を言上すると、陛下は外務大臣とよく協議をするようにと仰せになりました。
外務大臣ロバノフ候を訪ね、陛下の命を伝え李鴻章との交渉経過・決定した条項を話しました。
なお、これはまだ口約束であるから、更に正式議定書を作成せねばならないことを付け加えました。
その時、ロバノフ候が実に天才的な外交家である事が証明されたのでした。
ロバノフ候は、ウイッテ伯の話を聞き終わるとやや暫く考えていたのですが、無造作にペンをとって
「どうでしょう、もう一ぺん最初から順を追って詳しく話してくださらんか。」
と言いました。
ウイッテ伯が最初から条項を追って協定した内容を話すと、話を聴きながらずんずんペンを走らせ、話が終わると殆ど同時に彼も書き終え、それをウイッテ伯に手渡し、
「間違っている点は幾度でも訂正します。」
と言いました。
誠に立派な文章で、ウイッテ伯が話聞かせた事柄が一点の脱漏もなく、順序整然な協約案に出来上がっているのでした。
ロバノフ候は、
「それでは明日陛下に御覧入れて、御同意であったらすぐに貴下の手許へ送ります。」と言うのでした。

外務大臣ロバノフ候の外交を通じて交渉能力が高いのは、三国干渉の相棒となるフランス・ドイツを誘うのを一週間ほどで完了させるほどで、
第一段 馬関条約とロシアの干渉(2)参照〉何となくわかっていましたが、文章作成能力もあったのですね。wikiによると、「ロシアの系図書」と言う著書もあるそうです。

すべての列強と戦争する気か

翌日、外務大臣がらウイッテ伯の所へ協約案が回付してきました。
ウイッテ伯は、これを手にし一見して驚いてしまいました。協約中の重要な一条項が先日確認したものと違っていたからでした。
「ロシア・清国両国は日本の侵略に対抗する為に防守同盟を結ぶ」すなわち
「日本が清国の領土又はロシア沿岸の領土に対して進撃する場合には、攻撃を受けるものが清国である時はロシアは清国を援け、それがロシアである場合には清国はロシアを援けて相互に防護する事を約す。」
という条項が全然変更されており、
「何れかの国が清国又はロシアの沿岸を攻撃するときはロシアは清国を防護し、清国はまたロシアを防護する事を約す」
と単に相手国を日本と指定しないで、広く何れかの国と改められていたのでした。
清国の近くに植民地をもち、また清国内にいろいろ利権を持つ列強国はいくらでも有り、清国と間で屡々紛争を大なり小なり生じさせている過去があるのです。
今後も清国と列強国の間にどんな状態が生じるか予断しがたい状態になるかもしてないのです。
ましてこのような条約を結んだことが列強国群に知られたら、一斉にロシアを敵視するであろうことは疑いようがないのです。
ウイッテ伯は、直ちに陛下に伺候して、この危険である所為を言上するのでした。

第七段 皇帝の李鴻章謁見と締約〉で李ウイッテ協約の原案をまとめてみたのですが、一部違っていました。
「ロシアは日本の侵略的行為に対し、清国を防御する責任を待つ。」と言う一方的にロシアが清国を防護するのだと思っていたのですが、
「日本が清国の領土又はロシア沿岸の領土に進撃した場合、相互防護する。」と言う互いに助け合うものでした。

ニコライ二世帝の反応

「それでは直ぐにロバノフに逢ってよく理解させる様にし給え」
とニコライ二世帝は言います。ウイッテ伯は少なからぬ困難が伴うと思い、更に言上しました。
「しかしロバノフ候は年齢から言えば私の父にも相当しますし、位階勲等から見ましても私より遥かに長者であります。
それに李鴻章との交渉は最初から私が担当して決定したので、その決定した条項を侯爵に示して、侯爵が成案したものが即ち此の案であります。
そして侯爵が作案した時には防守同盟の対手は明らかに日本と指定してあったのは、私が確かに認めた所であります。
今この変改を見ますのは、如何にも解し難いことであります。
それがどういう理由でありましても、私がこれを指摘することは彼の感情を害さないとも限りません。
私は何も彼をはばかる次第ではありませんが、こういう大事を前にして大臣同志の間に何らかの疎隔に似たものを生ずることは甚だ好ましくない事でありますから、願わくはこのことは陛下から彼に御申し開き下さると好都合に存じます。」
陛下は直ちにその意を諒解して
「よし、それでは僕から言おう。」
と回答しました。


その後まもなく、ウイッテ伯は戴冠式に参列のためモスクワへ出発したのでした。
彼は陛下の到着に先立ってモスクワに到着しました。李鴻章は既に数日前に到着していました。

陛下が予定の行在所に着くと間もない時、ウイッテ伯が御前に伺候して奏上が終わった時、陛下は彼に向って言いました。
「先日の協約案のことは、ロバノフに日本以外の諸国までを対手として清国と防守同盟をすることは不穏でないかと言ったら、彼も至極同意で、この点は原案の通りウイッテが言った様に改めると言っていたから、安心していい」
陛下の語気が、如何にも明確で少しも顧慮を必要としない様であったので、その後ロバノフ候とは数回逢う機会は有りましたが、この事についてはウイッテ伯も彼も全然黙って過ごしたのでした。

協約案は書き間違えたのでしょうか。それとも故意に書き換えたのでしょうか。


私は、「書き換えた」のだと思います。もしそうだとしたら、誰の意思であったのでしょうか。
ニコライ二世帝の「それでは直ぐにロバノフに逢ってよく理解させる様にし給え」のセリフからは、陛下が書き換えたいと願ったようには、思えません。
ロバノフ候にも書き換えたい意思はないと思えます。
あったのならば、原案をウイッテ伯の目の前で書き上げている時に、話していると思えるからです。
ロバノフ候・ニコライ二世帝を説き伏せて、文章に手を加えさせられる人物、たぶんロマノフ家の一員で、しかも軍人であろうと自分は思います。
ニコライ二世帝の日記当たりを調べればわかるかもしれません。


ウイッテ伯は、誰かしらが関与している事に感ずいて、陛下自ら書き直しを命じさせたのだと思います。


第七段 皇帝の李鴻章謁見と締約〉でウイッテ伯と李鴻章はつるんでモスクワに向かったのだと思い込んでいました。ウイッテ伯はモスクワに行く前に協約案の確認作業をしていました。

鉄道会社の段取り

ウイッテ伯は、すぐにでも清国がその領土内にロシアの敷設会社の鉄道敷設を承諾したという保証と、清国政府と、ロシアの施設会社の間に鉄道敷設に関する契約をするという二つの文書を、獲得したいと考えていました。


契約を結ぶ為にはいくつか問題が有りました。
李鴻章の主張により、鉄道の建設と経営は私設会社ある事が協約の中に込められていました。
これを受注できる会社がロシアで見当たらなかったのです。
彼は露清銀行に着目していました。すでに盛んに営業している私設会社のでしたから、清国政府がこれに自国の領土内に鉄道を敷設し、経営する利権を与えるに何の支障もあるべき道理が有りません。


他日露清銀行から私設会社に利権を譲渡せしめれば良いだけなのでした。
但し、露清銀行が仮にこの利権を獲得した後に、私欲に駆られて権利を自分のものにするという欲望を起こしては甚だ面倒なことになってしまいます。
よって露清銀行が清国政府から与えられるべき鉄道の敷設及び経営に関する権利は、他日ロシア政府によって組織されるべき東支鉄道会社に異議無く譲渡することを約束させる事にしたのでした。


やがてロシア側からは外務大臣ロバノフ候と大蔵大臣ウイッテ伯、清国側は李鴻章が全権を任命されて両国全権が会合する日も決定し、会合の場所はモスクワの外務大臣の宿舎と指定されたのでした。

この段のまとめとして、

  • 外務大臣ロバノフ候は交渉力だけでなく、文章作成力もあった。
  • 協約で、日本が清国の領土又はロシア沿岸の領土進撃した場合、相互防護協力する事になっていた。
  • 協約の存在を知っていた人物が、ニコライ二世帝・ウイッテ伯・ロバノフ候意外にもいた可能性があった。(これはかなり想像。)
  • 当時のロシアには、鉄道建設の受注できる会社が無かった。
  • 露清銀行の運営にウイッテ伯はかなり影響力があった。

文庫化してほしいな。

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