第十章 ア・エヌ・クロパトキン将軍
第一段 ワ大将辞職の原因
古参軍人のワンノフスキー大将が陸軍大臣職を辞任しました。その後継者は誰になるのでしょうか。
陸軍大臣の後継者選び
ワンノフスキー大将が陸軍大臣の職を去ったのは、表面病気と言う事になっていましたが、実際はそうではありませんでした。
若い皇帝が即位されてから、多くの大公達が急に権威をふるい出し、彼が忍び得ないほど事毎に陸軍の仕事に干渉し始めたからでした。
ワンノフスキーは、先帝アレクサンドル三世時代のように、自分の力をもって陸軍省内を統括する事が到底出来ない事を感じていたのでした。
彼はこの干渉に抵抗するのを断念したのでした。そして、遂に職を退いたのでした。
また一面から見ると、このように観察する事も出来るの出ないでしょうか。
ワンノフスキー大将は、意志の強い、強情で一本調子を持っていました。
彼はアレクサンドル三世の治世を通じて陸軍大臣の職にあった関係上、陛下でも彼の前では遠慮するほどの権威を持っていました。
従って、若い皇帝に対して往々にして大臣というよりも指導者の様な関係になっていました。
陛下の立場から言えば、先帝時代の大臣の一人から脱する事が出来るという満足さがあったに違いないのでした。
皇帝陛下はワンノフスキーに向かって、彼の後任者には誰が良いか指摘せよとたずねた。
この事は、後でウイッテ伯がワンノフスキー大将から聴いたのでありますが、彼は先ず参謀総長オブルチェフを皇帝に推薦しました。
その際に、オブルチェフは今日まで一度も軍隊指揮官の職を執った事が無い、一口に言えば書斎のへ医学科であり補佐官である、そこに陸軍大臣候補者としての欠点がある事を奏上しました。
次に彼は軍務局長のロブコを推薦しました。
ロブコは陛下が皇太子の自分に御教育掛をしていた関係上、陛下はオブルチェフよりは好意を持っていました。
しかし、ワンノフスキーはこれまた同じように、彼が軍隊指揮官をしたことが無い欠点を指摘しました。
最後にワンノフスキーは、多くの軍隊に指揮官として経験のある若いクロパトキンを推薦しました。
彼は平時と戦時とを通じて、終始軍隊で自分の経験を作り上げた人物で当時陸軍部内に名声噴噴たるものが有りました。
しかしワンノフスキーは、クロパトキンは陸軍大臣としては閲歴が不十分であるから一時オブルチェフかロブコを陸軍大臣とし、クロパトキンは近い将来に陸軍大臣の職に就かせるため、暫くの間参謀総長に任命したらよかろうという意見で有りました。
オブルチェフは、恐らくこのワンノフスキーの意見具申を知っていたのでありましょう。
彼は自分から陸軍大臣になり、クロパトキンが参謀総長になる事を期待したのでした。
ワンノフスキー大将の後継者がいなかったと言う話です。
この後継者育成は、やはり皇帝が行わなければならない事だと思います。
ワンノフスキー大将が自身で後継者を育成し始めると、派閥を作ろうとしていると思われます。
今回の場合はニコライ二世帝が陸軍大将の育成など出来る時間は当然なかったので、先帝アレクサンドル三世の責任であると思います。
これは陸軍大臣だけの話ではないと思いますが、専制政治の国家では、専制者が人事を責任もって行なわなけれま国が混乱してしますでしょう。
ワンノフスキー大将は、政治家の資質が全くない軍人なのかもしれません。
結局大公達の大臣職の仕事について容喙されることを遮る事が出来ないまま、逃げ出してしまいました。
政治家になりたいと思っていないならそれでも良いのではないかと思います。
現場で仕事を全うすれば良いのです。人事の適材適所というのは難しいのだと思いました。