第一章 ニコライ二世帝統治の初期
第七段 奸臣アバサの復活
ニコライ二世帝は、11月2日に先帝の大葬の為に集まってくれた方々や、議会の議員を一同にに集め、挨拶を交わしました。

アニチコフ宮殿にて
11月2日、皇帝はアニチコフ宮殿に全参議院議員を招待しました。当時国会が開催中であったので、この招待により全大臣の顔が揃うことになりました。
陛下は先帝の追憶を極めて熱心に語り、出席者を衷心からねぎらいました。
ウイッテ伯は出席者の中にアレクサンドル・アグゲビッチ・アバサがいるのを見つけた。アバサは先帝時代に醜い事件を起こし、隠居していました。その人物にニコライ二世帝が特別に親しく、優しく対応している姿を見ておどろかされました。
アバサは、参議院議長のミハイル・ニコラエヴィッチ太公と親交があったようでさす。また、参議院書記長のアレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・ポロフツェフとは親友でした。ポロフツェフは陛下に取り入ってアバサを復職させようとしていたのでした。
議員を招待した後、陛下は連日のように自分の侍従や幕僚、続いて先帝の大葬に列するためにペテルブルグに来ていた諸外国の使節たちを招待しました。その中には、ブアデルフ将軍やジェルワ提督といった顔ぶれもありました。ブアデルフ将軍は、オブルチェフ将軍と軍事協約を締結して露仏間の国交を温めた人です。
登場人物で分からない人が多いです。
アレクサンドル・アグゲビッチ・アバサこの人の資料がなくわかりません。
よそ様のサイトで次のような記事がありました。
アレクサンドル三世が大臣達を自由に引退させるための法令に著名した。その対象者にはコンスタンティン・ニコラエヴィッチ王子、M.T.ロリス・メリコワ、D.A.ミリューチン、A.A.アバザであった。
A.A.アバザがアレクサンドル・アグゲビッチ・アバサのことかもしれません。醜い事件についてはわかりませんでした。
ミハイル・ニコラエヴィッチ太公は、〈第六段ニコライ二世帝の性格〉で登場したニコライ二世帝の義弟アレクサンドル・ミハイロヴィチ太公のお父さんです。
アレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・ポロフツェフはわかりまあせんでした。
ブアデルフ将軍は、フランスの軍人だと思います。ロシアのオブルチェフ将軍と協議を重ねて軍事協約(露仏同盟)を結んだ人だと思います。
11月2日はロシア歴でしょう。一応おさらいすると日付はロシア歴で。
10月20日;ヤルタのリヴァディア宮殿でアレクサンドル三世崩御。
10月25日;ペテルブルグに向けて遺体を運び出す。
途中1日モスクワのウスペンスキー大聖堂に遺体を安置。
ペテルブルグに到着〈第一段アレクサンドル三世の死〉の場面。
11月2日 ;今回の場面。大葬まで続く。
11月6日 ;先帝の大葬。〈第三段皇太后マリア・フョードロヴナ〉の場面。
11月14日;ニコライ二世帝、結婚式。
こんな感じですかね。