ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その071

ロシアの歴史 タイトルロシア

第九章 遼東半島占領事件

第十四段 独帝のロシア抱込み策

ウイッテ伯はロシアが清国の遼東半島を占領した原因は、ドイツに誘発させられたと言っています。

ロシアが占領したのはドイツのせい?

この事件を誘発したのはヴィルヘルム二世皇帝です。
彼には自分の行為がどんな結果をもたらすかはっきりわかっていなかったかもしれません。
しかしながらドイツ皇帝とドイツの外交家が、当時あらゆる手段を弄して、ロシアを極東の冒険事業に誘導した事は疑いの無い事実でした。
ドイツは我々の力を極東に集中させて西方国境の安全を期したのでした。
関東州の占領はあの凄まじい日露戦争を起こさせました。
我々はこの戦争で非常に屈辱的な敗戦を味わったのでした。


ドイツはこれによって、自分の目的を完全に達し得たことでしょう。
この戦争の際ドイツ皇帝は我が西方国境の防御者でありました。
しかしそれは好んでやった事ではないでしょう。
その証拠に、彼は親善の名によって、ドイツに利益で我々の為には極めて不利な通商条約を締結する事に努力しているのがそれです。

ウイッテ伯の言う所のヴィルヘルム二世帝によってされた事件とは、ロシアの遼東半島占領の事であると思います。
ですが、私は違うと思います。誘発されたのでなく触発されたのです。
ドイツ皇帝はニコライ二世帝に極東へ積極的に出て行けとは言ってません。
ロシアが行かないのならば、ドイツが膠州湾を占領すると言っていました。
ロシアはその様子を見て、我先に遼東半島を占領したのです。


人の物を何でも欲しがる子供のようです。

ウイッテ伯の言う所の
「親善の名によって、ドイツの利益で我々の為には極めて不利な通商条約」
とは何のことでしょか。ちょっと調べただけではわかりませんでした。

第十五段 遼東占領と列国の脅威

占領後の始末

我々が関東州を占領すると、清国に利害を有する各国は大恐慌を来しました。
誰よりも驚いたのは日本とイギリスでした。
イギリスは威海衛を占領していました。
日本は朝鮮に関して同じような要求を提出しました。


我々の仕事は必ず平穏裡に済むと陛下を納得させたムラビヨフ伯は、これを予期しなかったものと見えました。
彼は慌て譲歩しながら、日本やイギリスの協調に着手しました。
彼はイギリスに対し、我々が旅順を軍港として、各国船舶の出入りを禁止するような場合には、その付近に大きな商港を設けて自由港にすると約束しました。
我々の関東州占領によって各国に与えた感情は、イギリスとのこの程度の約束では、たいしてやわらぎもしませんでした。


日本は特に不満の意を表しました。
これが為に我々は、遂に朝鮮から退去を余儀なくされるようになりました。

ドイツは、一応ドイツ人宣教師が殺させた為に対抗処置として膠州湾を占領しました。
その後、清国と充分な殺害事件の処理が進められずに占領してしまいました。
決して良いやり方ではないと思います。

ロシアは更にひどく、清国側に占領されるだけの理由が有りませんでした。
この違いは、占領する「理由」があるドイツと、占領する「機会」があるロシアの違いであると思います。
ロシアの行為は誰が見ても容認できるものではないと思います。

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