ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その069

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第九章 遼東半島占領事件

第十段 辞職の裁可を請う

ニコライ二世帝とウイッテ伯の関係が徐々に冷え込んできました。
清国との外交状態も大切な時期ではありますが、どうなって来るのでしょうか。

陛下のウイッテ伯観

陛下がツァルスコエ・セロからペテルブルグの冬宮殿へ帰還してから後、ウイッテ伯は報告の為に冬宮殿へ伺候しました。
それはツァルスコエ・セロで「外国使臣との会話はもう少し慎め」と言われて以来初めての参内でした。


ウイッテ伯は、皇帝の自分に対する態度の変わった事、今度の事件について意見を異にしている事などを述べて、大臣の職を免ぜられるように皇帝に請願しました。
すると陛下はウイッテ伯に向かって、それは不可能である、皇帝は大蔵大臣としてのウイッテ伯に全般の信用を置いている、であるからウイッテ伯と皇帝との関係には何等悲観すべき事は無い、将来も自分を翼賛を認めている、であるからウイッテ伯を手放す事は出来ない、将来も自分を翼賛してもらいたい。という意味を語り、更に言葉を次いで次のように言われました。
「旅順・大連の占領は、もう済んでしまった問題である。
それが良かったか悪かったかは将来の歴史がこれを示してくれるだろう。
ともかくも事件は終わってしまったのだ。僕はこれに対する態度は変えてない。
であるから将来この仕事が順調に運ぶよう今まで通り僕を助けてくれたまえ。僕は個人としてそれを君にお願いする。」

ニコライ二世帝から好意を寄せられるべき存在と思っていたウイッテ伯は少し冷たい態度をとる陛下に対して不満を持ちます。
その結果が大臣辞職の請願でした。
ニコライ二世帝は、辞職請願は受け入れず文官として要求しました。これは皇帝がウイッテ伯の事を有能な文官としてしか存在を見ていないことが判りました。
今後、ドライの付き合いが始まるのかもしれません。

第十一段 遼東半島の譲渡を要求

守護者の見返り要求

当時カッシンの代わりに北京に在った駐清代理公使パウロフは、我々の条件を清国政府に提示しました。
その内容は、清国に対して、36ヵ年の租借期限で旅順・大連を含む関東州を我々に割譲し、租借権に対する報償は提起しないという条件でありました。
清国政府は頑としてこれに同意しませんでした。


ロシア艦隊は旅順港に停泊していましたが、陸戦隊を上陸させてはいませんでした。
旅順の清国官憲は、我が艦隊や海軍軍人に対して始めのうちは頗る慇懃な態度で接していましたが、後になると俄かに態度を変えてきました。
当時、西太后は若い皇帝と共に北京の近くにある別荘地にいました。
で、各大臣は上奏報告の為に絶えずそこへ往復していました。
彼女はイギリスと日本の後援を頼んで一歩も譲歩しませんでした。
この様な状況のもとに、我が皇帝陛下もさらに譲歩の色を見せませんでした。
もし関東州割譲に関する条件の結果をつけなければ陸兵の上陸となり、それが衝突を起こした場合には流血の惨事は避けがたいと、ウイッテ伯は見て取っていました。
そこで自らこの事件に身を投ずる事に決心しました。

清国の領土保全の為に清国の領土を差し出せと言い出したロシア帝国、清国はそれに対抗する為にイギリスや日本の助言を聞き入れ始めたようです。
ロシア帝国は敵対勢力を増やし始めてしまったのかもしてません。
この状態を打開するために、ウイッテ伯は何か策を講じることにしました。

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