ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その064

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第九章 遼東半島占領事件

第四段 皇帝旅順占領を決意す

ニコライ二世帝は旅順・大連占領計画を決めてしましました。
理由はイギリスが旅順付近を遊弋していたからです。

ウイッテ伯の知らないうちに占領決定

この会議後四~五日たって、ウイッテ伯は上奏報告を持参して皇帝の所へ参内しました。
ウイッテ伯は、その議事録は既に陛下が確認しているだろうと思っていました。


ところが皇帝は、そわそわと落ち着きのない態度でウイッテ伯に向かって言いました。
「セルゲイ・ウイッテ!君はもう知っているかも知れないが、私は旅順と大連を占領する事に決めた。それで陸兵を乗せた運送船を派遣するように命じてしまったよ。」
そう言った後で皇帝は更にこれに付け加えました。
「あの会議の後で、外務大臣は私にイギリス艦隊が旅順・大連付近を遊弋していて、もしロシアがこれ等の港を占領しなければ、イギリスがこれを奪取するだろうという情報を持ってきた。
それで私は占領の決心をしたのである。」


ムラヴィヨフ伯の上奏した新情報は無論虚偽の物でありました。
その後ウイッテ伯はイギリス大使から聴いて知ったのですが、イギリス艦隊が太平洋沿岸のある地点を遊弋したのは事実であるが、それはドイツが自国の艦隊を入港させた後の話で、イギリスはどこかの港湾を占領しようなぞという企画を少しも持っていなかったのでした。


皇帝の言葉は非常にウイッテ伯を失望させるものでした。
陛下の書籍から出ると、ウイッテ伯は応接室でアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公に逢いました。
大公は、この問題についてウイッテ伯に話かけたところを見ると、運送船の旅順派遣を知っていたのだろうと思えました。

旅順・大連占領作戦について、ウイッテ伯は完全に蚊帳の外の状態です。
占領決定の知らせも事後報告状態です。アレクサンドル大公もすでに承知していたようですし、ウイッテ伯だけが外されています。
ニコライ二世帝は外務大臣ムラビヨフからの情報を確認もせずに信用してしまったようです。
多分、皇帝も占領を行いたかったのでしょう。
ただ、GOサインを出すきっかけが欲しくて、外務大臣の情報を無条件で聴き入れたのだと思います。

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