ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その056

ロシアの歴史 タイトルロシア

第八章 各国元首の露帝訪問

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がロシアへ訪問しました。

第一段 フランツ・ヨーゼフ帝の訪露

4月15日。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフはロシア皇室訪問の為、ペテルブルクに到着しました。
冬宮でヨーゼフ帝との謁見が行われた時、若き皇帝は長者に対する礼として頗る慇懃にこの老帝をもてなし、多くの人々に非常な好感を与えたのでした。
ヨーゼフ老帝はペテルブルグに僅か二日間滞在しただけで帰国したので、その間になんら著しい出来事もなかったのでした。

グレゴリオ暦で4月27日であることは判るのですが、何年なのかがわかりません。
冬宮殿は1762年に建てられた宮殿です。
ペテルブルクのネヴァ川沿いに建てられています。


ヨーゼフ帝が帝位についたのは、1848年12月です。
ロシアの若き皇帝ニコライ二世の生まれは、1868年5月なのでヨーゼフ帝はニコライの生まれる前から皇帝として君臨している大先輩でした。
ニコライ二世の父親のアレクサンドル三世の生まれが、1845年3月なので父親ですらヨーゼフ帝の前に出れば小僧扱いだったかもしれません。

第二段 ヴィルヘルム帝の訪露

7月16日。ドイツ皇帝と皇后が同伴でロシアに到着しました。ドイツ皇帝は7月30日まで滞在して帰国しました。
ドイツ皇帝はその滞在中の記念として、将来大きな影響を持つ2~3件の出来事を残していきました。ドイツ皇帝は滞在中ずっとペテルゴフの大きな宮殿に滞在していたのですが、ただ一度、駐露ドイツ大使ラドリン侯爵主催の午餐会に臨席の為ペテルブルグへ来たことが有りました。ウイッテ伯がこの午餐会に招待されて行くと、ドイツ大使はウイッテ伯の顔を見るなり、
「皇帝がぜひ貴下と特別に懇談したいと言っているから、僕の書斎で会見してくて給え。」
というのでした。

ドイツのヴィルヘルム二世帝は、グレゴリオ暦7月28日から8月12日まで約2週間、ロシアに滞在していました。これも年度が解りません。
ペテルゴフ宮殿は、1712年にピュートル大帝が建てたフィンランド湾に面した離宮で、首都ペテルブルグから40キロほど離れています。「夏の宮殿」などと呼ばれています。
ヴィルヘルム二世帝は1859年1月生まれなので、やはりニコライ二世帝より9歳ほど目上です。

タイトルとURLをコピーしました