ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その054

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第七章 新外相ムラヴィヨフ伯

第二段 ダシコフ伯の宮相罷免

宮内大臣ウォロンツォフ・ダシコフ伯は、相手がたとえ皇族であろうと言いたい事を言い張れる人物でした。ですが、そのウォロンツォフ伯が皇帝より大臣職を罷免されてしまいました。

ウォロンツォフ伯の権威の源

この年の5月6日に、ウォロンツォフ・ダシコフ伯が宮内大臣の職を罷免されました。
この事は、宮廷内の心理を理解している者にとっては思い設けぬ出来事でありました。
ウォロンツォフ伯は、新帝の幼少時代から知っていました。
アレクサンドル三世の時代には終始宮内大臣として奉仕したのでした。
従って彼が新帝から多少窮屈がられたことは当然でした。


一方旧臣たちは、新帝をまだ年少者であると考え、新帝が最高の意思によって帝国の君主となったのである、と言う事をわきまえなかったのは明らかでした。
それ故に彼らは、それはウイッテ伯も含まれいるのであるが、新帝と語る場合に、相手を帝国の専制君主として扱うべきなのに、往々にして、そうはしなかったのでした。
この事が、新帝陛下をして先帝時代の宮内大臣に反感を持ち始めたことは、勿論なのであります。
ウォロンツォフ伯の折々の言葉の端に出る多少年長者らしい句調が恐らく新帝と皇后の気持ちを害したのでありました。


しかし、陛下とウォロンツォフ伯の関係を不和にした主な原因は、御大典忠に起こった不祥事でありました。
この不祥事事件後は、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公と、ウォロンツォフ伯の間に激しい反目が生じていたのであります。
ウォロンツォフ伯は、大公達に対しても、可なり程度まで自由に行動していました。
それは彼が故アレクサンドル三世にとって馴らされた所の物でありました。彼はセルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公と雖も容赦しなかったのでした。
他方、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公は利己的な人間であり、新帝の叔父であるばかりか皇后の姉君の夫として新帝に対しては可成りの勢力を持っていたのでした。
こうした関係が、ウォロンツォフ伯が、陛下の希望によって宮内大臣の職を辞さねばならなくなった主な原因でした。


当時、ウイッテ伯はエラギンに住んでいたので、ウォロンツォフ伯とは最も近しい交わりをしていたのですが、宮内省の予算問題については多少彼とは意見を異にしていました。
ウォロンツォフ伯は、この問題につて最初はウイッテ伯の意見に反対でしたが、陛下がウイッテ伯の見地に賛同したのを見て忽ち自説を棄てたのでした。


陛下がウォロンツォフ伯を宮内大臣の職から罷免する旨を言い渡したその日、彼はエラギン島にウイッテ伯を訪ねてきました。
ウイッテ伯はその時彼が極度に狼狽していたのを記憶していました。
ウォロンツォフ伯は、これに先だつ数週間前には自ら進んでおのれを罷免してくれるようにと陛下に奏請していました。
その時陛下はウォロンツォフ伯の願いを聞き届けななったのでありますが、その日、会議が終わってから陛下は自ら、ウォロンツォフ伯に対して、
「君は今日までに何遍も宮内大臣の職から罷免してくれるようにと希望であった。僕は今日から君をその職から解放する。」
と言い渡しました。


ウォロンツォフ伯は詳細にその事をウイッテ伯に語りました。
ウォロンツォフ伯は、ウイッテ伯が宮内省予算問題について彼と意見を異にしてたので、ウイッテ伯が陛下に向かってウォロンツォフ伯を非難した物と考えていたらしかったのでした。
それに対してウイッテ伯に言いまた。
「実は、予算問題につて私は陛下と語ったのでしたが、断じて貴下を非難した事はない。
また私は自分を卑しめるような、秘密の袖に他人を葬る様な行為はしたことはない。
特に私は個人としても貴下に対して尊敬を拂っている。」
と伝えました。

ウォロンツォフ・ダシコフ伯は、
椿事の責任あらそい〉で登場しました。


ニコライ二世帝の戴冠式時に開かれた国民を含めた祝賀会での出来事、ホドゥインカの大惨事で、責任の所在についてセルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公と言い争いをした人です。

この年の5月6日とは、グレゴリオ暦で1897年5月18日です。
今回の解雇騒動は、ホドゥインカ事件のほぼ一年後の出来事でした。


ウォロンツォフ伯は、相手がたとえ皇族であろうとも言いたいことが言える人物で、相手も伯の意見を聴き入れていたわけですが、それは前皇帝アレクサンドル三世の影響力による物でした。
アレクサンドル三世が権力をふるっていたおかげで、その側近であったウォロンツォフ伯の発言にも権限が発生していたわです。
アレクサンドル三世が存在しなくなった今となっては、ウォロンツォフ伯の権威は亡くなってしまっていたのでした。

ウォロンツォフ伯は、解雇された理由をウイッテ伯が皇帝に讒言を告げていたからだと思っていたようです。
皇族から煙たがられていることを、解雇を言い渡されるまで気が付かなったようです。

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