ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その052

ロシアの歴史 タイトルロシア

第六章 ボスフォラス占領計画と辺境統治策

第五段 芬蘭総督ゲイデン伯

フィンランド総督のゲイデン伯は、現地では問題を醸すことなく、統治しました。ですが、ロシア帝国宮廷内では評判が良くありませんでした。

誰の為の統治なのか

フィンランド総督ゲイデン伯爵の退職もこの頃のことでした。
この人は非常に尊敬すべき人で、以前陸軍大臣ミリゥーチン伯爵の基に参謀長を勤めた人物でありました。
彼はフィンランドにロシア的政策を行った人であるが、仔細い気を配ってフィンランド憲法を無視しない様に注意しました。
またアレルサンドル・ブラゴスロヴェンスキー以来今日に至るまで同地の市民がえた権利を侵犯せぬ様に気を付けたのでした。
彼の退職はその健康状態にもよったのですが、主としてペテルブルグで現れ始めたフィンランドのロシア化然らしめる声が現れた為でした。


こういう傾向の下に、ゲイデン伯のようなやり方では大ロシア帝国の威信を発揮し得ないと言うのでした。

フィンランド総督のゲイデン伯は、現地人と軋轢を生じさせる事無く統治するのですが、首都ペテルブルグからの評判は芳しくなかったようです。
フィンランドがロシアに融合していないと言う事でした。


現代であったなら、教育を通じて文字を浸食し、テレビやラジオを通じて文化を伝えることが出来たでしょう。
あえて現地の生活を禁止する様な事をせずともロシア化が出来たと思います。
一〇〇年ぐらいはかかると思いますが。

当時は、義務教育による学校も、娯楽としてのテレビもないので、ロシア化を行うには、伝統文化の禁止を行わないとできなかったことでしょう。


ですが、強制力が強すぎれば、コーカサスの如く反乱が起き、双方不幸になるだけでしょう。

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