第六章 ボスフォラス占領計画と辺境統治策
第二段 御前会議と軍閥(3)
オスマン帝国侵略計画が遂行させるべくしている時、ツァルスコエ宮殿でシベリア委員会の会議が開催されました。ウイッテ伯はこの時、ニコライ二世帝の発言に衝撃を受けるのでした。
シベリア委員会での出来事
ちょうどその時、11月27日及び28日にわたり、ツァルスコエ宮殿でシベリア委員会の会議が開催されました。
この会議では、ウイッテ伯と李鴻章との交渉によって、清国政府から与えられた東支鉄道の利権契約問題が審議されました。
この席上で、陛下はウイッテ伯を前において、ロバノフ・ロストフスキー候の死去に、追弔の言葉を述べました。
ウイッテ伯はこの言葉に対して、それが我等の陛下より発せられた言葉であると言う事の外に、ロバノフ・ロストフスキー候に対する追悼という意味において深く感激したのでありました。
けれどもその言葉の中には、東支鉄道の利権はすべてロバノフ・ロストフスキー候一人の功績に係っているという意味を述べられたので、この事業がウイッテ伯によって遂行されたものであることを噂によって知悉していた並びいる委員たちは、そこに必ず陛下がウイッテ伯に対して何か不満のある事を知るに充分であったのでした。
もし陛下がウイッテ伯に対して不満を持っているとしたら、それはウイッテ伯の行動或いは意見の激しさによる事と明らかなのです。
これについてはウイッテ伯は心から陛下に対してお詫びする次第で或るのです。
が、非礼とは知りながら、ウイッテ伯は何時もその様に振舞い、今もなお然るのであります。
それにも拘わらず、陛下は財政問題の範囲においては、ウイッテ伯に対して何等の不満も持たない事だけは明らかでありました。
その証拠にはそれから一か月半も経たないうちに起こった幣制大改革の問題では、陛下はいつもウイッテ伯の最もよき同情者でありました。
ウイッテ伯は、自分の手柄だと思っていた東支鉄道計画がすべてロバノフ候に持っていられたと、憤慨しています。
ウイッテ伯は、ニコライ二世帝にとって自分だけは特別であるべきと考えているように思えます。多分、ニコライ二世帝は、ウイッテ伯の事を、多くいる臣下の一人ぐらいにしか思っていないのではないでしょうか。