ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その047

ロシアの歴史 タイトルロシア

第六章 ボスフォラス占領計画と辺境統治策

第二段 御前会議と軍閥(1)

オスマン帝国に侵攻するか否かを決める御前会議が開かれました。侵攻に賛成の者はだれか、また、反対者は誰だったのでしょうか。

ニコライ・パブロヴィッチ・シーシキン on wiki

元外務大臣ギルスの提言

ウイッテ伯のもとに、駐土大使ネリドフから届いた書簡と同時にウイッテ伯は臨時外務大臣シーシキンから、11月23日に陛下の御前で開催されるべき筈の会議へ出席せよと言う招待を受けたのでした。

この会議の出席者は、大蔵大臣ウイッテ伯、陸軍大臣ワンノフスキー、海軍大臣トゥイルコフ、参謀長オブルチェフ将軍、外務大臣シーシキン、及びコンスタンチノーブル駐在ロシア大使ネリドフ等でした。
この会議でネリドフは、近い将来にトルコ帝国の破局が来ると言う意見を開陳し、この事はロシアに重大関係を有するから上部ボスフォラスを占領する必要がある。
そこでこの占領を可能ならしめ、占領を合法化するような事件を惹起せしめねばならぬと主張したのでした。
陸軍大臣及び参謀長は大いにこれに賛同しました。
ウイッテ伯は、このようになる事を予想していました。
何故ならば陸軍大臣ワンノフスキーはこういう場合いつも自分の部下である参謀長オブルチェフ将軍の意見に従う事を常としており、またオブルチェフ将軍は、ボスフォラスの占領する事、可能ならコンスタンチノーブルをも同様にする事を平素の理想としていたからでした。


ウイッテ伯はよく記憶している事がありました。
外務大臣ギルスの死ぬ数週間前にウイッテ伯は彼のもとへ何かの事で訪問した事が有り、その場で国際情勢について語り合った事があったのでした。
ギルスはこういいました。
「いつも戦争の口実となるべき事件を待ち構えてる陸軍は禍である。
アレクサンドル三世帝の偉勲は、こうした陰謀の影を絶った事にある。」
その時、ウイッテ伯は次の様な質問を発しました。
「では、そういう陰謀の中でも特に危険なものはどんな事だと思いますか。」
ギルスは答えました。
「私は外務大臣として次の事を貴下の耳に達しておきたいと思う。
オブルチェフ将軍は、いま軍隊をいかだに積み込んで、ボスフォラスを占領しようと思っている。」


こういう考えは、陸軍省内に深く根を張っているのでした。
最後の近東戦争の後、つまりアレクサンドル二世統治時代末期からアレクサンドル三世の初期には、参謀本部から多数の士官たちが、或いは隠然と或いは公然とこのボスフォラスへ繰り出したものでした。そして、この派遣士官の牛耳っていたのは当時まだ連隊長であったクロパトキンで、どうすればボスフォラスを占領することが出来、どういう手段を以てすれば此の所に大きな勢力を移動しうるかについて、あらゆる考慮を、巡らしていたのでありました。


外務大臣シーシキンは、上述の会議の席上では、多くを沈黙のうちに過ごしました。
稀にに発した言葉も何ら確定的な意味を持っていないようでした。
海軍大臣トゥイルコフはまた、ワンノフスキー及びオブルチェフの考えに特に賛成していた程でもないらしかったのでした。さりとて強くこれに反対する勇気もなく、海軍の立場からこの計画を成功させるために意見を述べたに過ぎないのでした。


かくして、この陰謀に対して断乎として反対を表明した者は、ただウイッテ伯一人だけでありました。ウイッテ伯は、かかる陰謀は結局ヨーロッパ戦争を惹き起こすこととなり、アレクサンドル三世帝の達成したロシアの輝かしい政治的経済的の現状を動揺せしめるものであると主張したのでした。

ロシア帝国内で、文官は武官の行動を帝国の継続を危うくする存在でらるように考えているようです。
実際、国を作る時は武力によって作られたはずですが、国家の維持をするには、武力は時には邪魔になるようです。
結局会議では、陸軍は侵略に賛成、海軍は武官という立場上反対が出来ない。

反対したのは、文官のウイッテ伯だけだったようです。

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