第五章 金貨制度の実施
第七段 平価切下げとルーブル保存
ウイッテ伯の金本位制改革案は、議会で反対されるのですが、そのほとんどが言いがかりに近いものでした。
対立する意見
日露戦の後、ごく少数の例外を除いてあらゆる人々は、この改革の意義を理解しているようでした。
ただ残念なことは、この理解がロシアの新しき試練、日露戦争及び国内動乱によって始めて知らしめられたことでした。
この幣制改革に当たって、次の事柄が屡々人々の口の端に上がりました。
ウイッテ伯はこの幣制改革で平価切下げを行いながら、何故1ルーブル以下の単位を用いなかったのであろうか。もう少し小単位の幣制が採用されたら、もっと経済的な生活が出来るだろうに!と。
ウイッテ伯はこの改革を、平価切下げに基づいて行いました。
名のみのルーブル価値が全ロシアに非常な混乱を惹き起こす様な事のないために、これを現実の価格に引き下げたものでありました。
ウイッテ伯はまたこの改革を、ロシア国民が平常と異なる荷物をも感じない様に完了しようと欲しました。
それ故1897年1月3日、幣制改革の法令が公布された時も、従来と異なる如何なる社会現象も如何なる物価変動も起きなかったのでした。
従ってそこには、如何なる国家的動揺もなく、将来においても有りえない事が明らかにされたのでした。
それにも拘わらす、当時の新聞紙や参議院のこれに対する論調では、ウイッテ伯によって引き下げられた二分の一フランに相当するルーブル価値に、四フランに相当する呼び値を復活しなければならないという様な事でした。
当時にあってかかる言葉を弄する事は、ロシアに財政的混乱を来する事を意味するのみではなく実際的には何の意義もない空論を意味しました。
もう一つの異論はルーブル単位以下の単位を以てこの改革を実行すれば、ドイツもしくはフランスの様に、ロシアでも生活がより楽に行われる筈だという議論でした。
生活程度を安くすると言う事は、ある程度まで正当な言い分であるでしょう。
あらゆる売買契約や貿易等に関する限り、単位の縮小によってより廉価に買い入れが出来るという説は正当でないが、日常生活、特に都市生活においては、問題がより個人的なものになるとは言え、ある程度まで当を得ているのでした。
しかしそれは国民中の特殊階級の個人的利益に関する事であって、全国家的利害に触れるところはないのでした。
しかしウイッテ伯は、実際ルーブルより遥かに小さい単位を作ってこれに「ルーシ」と命名し、この「ルーシ」をもってルーブルに代える為そういう型の金貨鋳造さえ実行したのでした。
ただでさえウイッテ伯の提唱した幣制改革が四面楚歌の反対を受けている事情に鑑みて遂にこの計画は放棄するに至ったのでした。
この改革が実施された後にも、国民の大部分がそこに何等かの変動も疑惑も持ちえない程であった当時において、もしも「ルーシ」を以てルーブルに代わらせ、100カペイカを以て「ルーシ」に相当させたとすれば、このカペイカの価値は現在よりも遥かに価値の低いものとならねばならないのです。
そうだとすれば、かかる方法は国民生活の全体に直接関係をもち、そこに貨幣価値の大混乱を来して、農民層、いわゆる蒙昧階級の大々的怨嗟を買う事は明らかでした。
そして人々はこれに付け加えたに違いないのです。
「だから言ったではないことじゃない。反対を押し切ってあんなことをやったが、全ロシアを騒ぎ乱してしまった。」と。
ウイッテ伯がこの改革に当たって「ルーシ」を採用しなかった所以はここにあるのでした。
ウイッテ伯は、メエリンが、参議院の全体がウイッテ伯に反対であることを知って、陛下に書類を提示してこれを動かしさえすれば彼の思うツボにはまるであろうと予想していたに違いないと想像できるのした。
ウイッテ伯自身の立場から言えば、当時陛下がウイッテ伯に反対する全ロシアの声にも耳を貸さず全くウイッテ伯を信任したお陰で速やかにこの大改革を実行する事が出来たのでした。
カペイカというのは、ルーブルの下に用意された補助通貨です。当時のルーブルとカペイカの価値比は判りませんが、現在もこの二つの貨幣は利用されています。
1ルーブルで100カペイカだそうです。1カペイカ・5カペイカ硬貨はもう利用価値が無くなってしまって、発行していないそうです。
今回の段は何を言いたいのかが良くわかりません。翻訳が有っているのか、私、気になります。
多分ですが、ウイッテ伯は、
慢性のインフレのロシア経済を金本位制で安定させようとした。
貨幣価値を少し落とし、補助貨幣を新たに設けようとはしなかった。
それに対し、反ウイッテ伯派は、
ルーブルの価値を上げようとした。
ルーブルの下に「ルーシ」と言う貨幣を設けようとした。
と言う事だと思います。
どちらが良いのかまでは判りませんが、私はウイッテ伯の考えの方が経済が安定すると思えます。