第五章 金貨制度の実施
第三段 フランス財界の意見
ロシア国内の幣制経済が不安定な為、正貨金本位制に切り替えようとする時、フランスの金融界が意見を申し始めました。
銀本位制のフランス
ウイッテ伯は、その時、次の様な事情によって幣制改革問題が一層紛糾したことを一言せねばならないのでした。
正貨制度の紙幣制度に優る事など一向に判らず、ただ幣制の原理としてこれを認めていた多くの財政理論家や実際家たちは、通貨の流通を統一して金貨制度とするか、或いは銀貨制度とするか、若しくは金銀併用制とするかの実際問題に当面した時、一斉に狐疑逡巡したのです。
正貨制度の必要性を大体において認めていた人々も、金か銀か、金銀併用かという問題に至っては、諸説紛分として治まる所が無かったのでした。
その結果、ウイッテ伯が異説を克服し難関を排して、いよいよ単一金貨制を採用した時には、かの有名なアルフォンス・ロトシルドや、経済学者セエの息子でフランス共和国の一流の大蔵大臣であったレオン・セエの如き実際的にも理論的にも大財政家の名声高かった人々とこの問題について屡々論争せざるを得なかったのでした。
アルフォンス・ロトシルド及びレオン・セエはロシアに銀貨制度採用の主張者でした。
もう一人この側に立った人では財政家としては著名ではありませんが、世間的には極めて有名なフランス前大統領でウイッテ伯とは極めて親交の厚かったルーペ氏でした。
この人は、ウイッテ伯はそれまで盛んにこの問題について意見を戦いはしたものでありますが、現在では彼は論争を避けているようです。
しかし彼は今までも自説の正当な事を信じているのでした。
これと同時に、フランス大統領でフランスに保護貿易制度を実施した有名な経済化メエリン氏も銀貨制度論者の立場からウイッテ伯に反対した一人でありました。
すべてこれ等の主張の動機は、理解が行き届かないことはないのです。
というのは、ウイッテ伯がロシア国内にこの幣制を実施した同時は、銀はまだ全然無償値とはなってをらず、銀貨制度がロシアに施行されたとしたら銀はまだ相当な価値を保ちうる望があったからでした。また一面からは、フランス人はたとえ銀貨単一制にならないまでも、せめては金銀併用であって欲しかったのでした。
少なくとも金貨単一制である事は断じて希望し得ない事情に置かれていたのでした。
その時代には、フランスはその通貨に最も多量の銀貨を使用する国であって、約三十億フランの額がこれに相当していたでしょう。
それ故、この問題はフランス人にとっては自分の懐勘定にも関係があったのでした。
アレクサンドル三世帝は、この問題については三度にわたる予備会議を指示しました。
一言ここに言わねばならぬことは、陛下はこの問題については、全然専門的に亘ることでもあり、その実際的意義については深く理解しなかったでしょう。
また実際、当時の全ロシアで或る特定の人々を除いては、一人としてこれを理解する者は無かったのです。
それにもかかわらず、陛下がウイッテ伯を支持したのは、ウイッテ伯自身を信任して熱心に成し遂げようとする仕事がロシア国家に有害な筈がないと思ったからでありましょう。
アントノヴィチがこの問題について陰謀をしていることが明らかとなるや、ウイッテ伯は直ちに彼と手を切ってしまいました。
それにもかかわらず彼はその極端な頑迷さのため、大蔵省の全官吏をウイッテ伯に反対せしめたのでした。
ウイッテ伯が紆余曲折しながら自国金融の安定化を目指し、正貨金本位制に解を求めた時にフランスから異見が出始めました。
フランスはしばらく銀本位の貨幣経済を進めてきていました。
ここでロシアが金本位制になったらフランスの金融の地位が揺らぎ始めてしまうと考えたのだと思います。
銀の貴金属としての価値が減少してきていたのかもしれません。
銀の価値が持続していれば金本位の地域が出てきても気にする必要が無いはずです。
この時代世界は金本位制に移り変わってきていました。
ウイッテ伯が推し進めめているロシアの金本位制がこの時の正解だと思います。