ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その040

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第五章 金貨制度の実施

第二段 蔵相顧問アントノビィッチ教授

ウイッテ伯は幣制改革を行うに当たり、金融の専門家に作業を頼みました。ただ、その法律に対しては不具合があったようです。

金融の専門家に依頼

ウイッテ伯は、幣制改革の前に財政委員会の或る会議でこのブンゲと交わした会話を明確に記憶しているそうです。
会議の時、ブンゲはウイッテ伯に次の如く言いました。
「セルゲイ・ユリエヴィチ、この改革は大変困難な事でしょう。
なぜかと言いますと、今日の財政委員会の中には、一人としてこの問題をよく理解している人が居ないからです。
委員のすべては、理論的には何も研究しておらず、実際的には何ものも見ておりません。」


ウイッテ伯はこの問題について一つの過ちを犯してしまいました。
そして、その事がある程度まで幣制改革の問題を一気に解決する事を妨げていたのでした。
過ちというのは、ウイッテ伯が大蔵大臣としてキエフ大学教授アントノヴィチを顧問にしてしまったことでした。
そしてこれは、彼が博士論文として流通論を書いていたことに基因していました。
この書は、ウイッテ伯が大蔵大臣としてこうした問題に専門的に携わる以前に読んだ書物の一つであったのでした。
ウイッテ伯はアントノヴィチが正貨流通理論を確固たる信念を以て主張していると思っていたのでした。
また事実、彼はそのように主張していたのでした。


ところが、ウイッテ伯はその人物の性格の一面極端な頑迷さを見極めることができなかったのでした。彼はその性質上かかる幣制改革が実現の可能性を有っているかどうかを考えるよりも寧ろ自分自身野小さい利益問題の方に一層大きな考慮を拂っていたのでした。
そこで、ペテルブルグのみならず、全ロシアに改革反対の声が上がるや、彼は前説を覆して遂には改革そのものにまで反対を唱える様になってしまいました。
アントノヴィチは決して悪人ではありませんでした。
普通のロシア式教授でした。唯、しかし彼は驚くべき利己主義者で人物が甚だ小さかったのでした。


細々とした仕事では、彼はウイッテ伯をよく助けていました。
例えば、国立銀行の改革に際しては、彼は相当な功績を上げたのでした。
彼がいなかったならば、或いはこの新銀行条例はもっと別のもの担っていたかもしれません。
この仕事に対して、彼は国立銀行なるものは国家が正貨に基礎を置く流通制度を実現するようにしなければならないという考えを持っていました。
彼はまたこの改革に当たって、国立銀行が、信用並びに短期保障に拠らない長期貸付の回収の速やかならしめるため色々な条項を設ける事に与って力っがありました。
これらに対しては、ウイッテ伯も認めるところでした。


事実上、この国立銀行新条例の細目には、尚、改革の理想に沿はない幾多の物が存在していました。その結果、この事が時々ウイッテ伯に誤りを為さしめました。
というのは、この条例を威よいひょ施行するに当たって、銀行が長期貸付及び不確実保証貸付をしない為に、ウイッテ伯自身いろいろな対策を講ぜざるをえなかったからでした。

ウイッテ伯は幣制改革を行うに対して、専門家を頼りました。
しかし、思ったように働いてもらえなかったようです。

ウイッテ伯は学者に法律まで作らせようとしているように思えます。
しかし、いくら金融の専門家でも金融の法律作りは無理な様に思えます。
この場合、法律作りはやはり、政治家が金融の勉強をして作業しなければならなかった様に思えます。

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