ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その037

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第四章 酒類専売制度の実施

第二段 酒類専売制度と日露戦争

ウイッテ伯が酒類専売法を施行した理由はなぜだったのか。それは思うように進んだのだろうか。

酒類専売法による税金の行方

大蔵大臣ココツェフ伯  on wiki

並びに一つ言っておかねばならぬ事は、故アレクサンドル三世帝の遺言により、またウイッテ伯の官吏のもとに実施されたこの酒類専売によって、泥酔者の数をできるだけ減少する事が出来たと言う事であります。
泥酔者の減少と言う事は、それが機械的・警察力的・法規的な方法で為される限り、それはただ「できるだけ」という但し書きをつけねばならない事です。
というのは国民の根本的覚醒は、ただ文化・教育の普及という道による他はないからです。


残念なことは、日露戦争が始まり、ウラジーミル・ニコラエヴィッチ・ココツェフ伯爵が大蔵大臣に任命された時、戦時支出の困難な財政状態と、また一面からはその事なかれ式な臆病癖によって、彼が折角アレクサンドル三世帝の威光とウイッテ伯やマルトフその他の税務省吏員の努力によって実現したこの酒類専売法を変貌させてしましました。
ココツェエフ伯は、この専売法を主に税金取り立ての方面からのみ眺め、改正によって大きな収入を見ようとするに急ぐのでした。
泥酔者を少なくする為、警察と協力すると言う謂わば国家百年の計を顧慮する事が少なかったのです。
そればかりでなく、酒類による収入の多寡が、税理官吏の価値をはかる尺度の一つとなってしましました。
泥酔者を減少させないと言う事が、税理官吏の特別な仕事と成り、またそれが酒類による国家収入を増加するゆえんとなりました。


戦争という非常事態にあっては酒類専売をこういう方向に導いて行ったということは誰の罪に帰すべくもありません。
致し方のないやり方というべきであろうと思います。
事実また、如何なる人が大蔵大臣の位置にあろうとも、同時はかかる手段以外に出ることはできなかったかもしれません。
しかしウイッテ伯の考えでは戦争が終結して財政状態が旧態に復活した時、大蔵大臣として思い起こすべき第一の問題は、酒類専売は飲酒者減少の目的で実施されたと言う事だったのです。
従ってこの事業は、当然アレクサンドル三世当時の主旨に則って施行されるべきでした。


ウイッテ伯は大蔵大臣時代にはこの専売法の実施さえている各地へ視察旅行を試みるのを常としました。
そしてこの巡回中に税務当局に訓論するところは、ただこの改革の目的が国家収入の増大にあるのでなくして、飲酒者の減少にあるとした。
従って税務官吏の腕前は収入の増加にあるのでなく、飲酒者数の減少・緩和にあったのです。

ウイッテ伯は、先代皇帝アレクサンドル三世帝からの遺言として、酒類専売を酒におぼれる人達を救うために行ったと言っています。 
アルコール中毒患者を減らす為の行為が酒類に税金を掛けた理由を、一般国民には文化・教育が行き届いていないから、物理的に酒を買う事がしにくくしたと言っています。
でも個人的にこのようなやり方で飲酒を減らす事ができるのかとは、思えません。
これが成功するなら禁酒法も成功しているはずです。それにアルコール中毒患者を減らす為なら、酒類専売によって手にした税金を患者の為に利用していると思います。
それらの事があったか資料がないので、判りませんが。


ココツェエフ伯は、伊藤博文の暗殺された時にハルビンで会談を行う予定であった人として、日本では知る人が多いと思います。
ココツェエフ伯は、ウイッテ伯の部下として働いていた人でした。日露戦争が始まると同時ぐらいに、大蔵大臣になりました。
仕事はウイッテ伯から学んでいるはずです。私は、ココツェエフ伯の行動はウイッテ伯の鏡だと思います。

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