第四章 酒類専売制度の実施
第一段 収税局の改造
ウイッテ伯は鉄道事業を進め、物資の移動をしやすくし、流通改革を行いました。また、その財源を確保するために税制改革を行いました。その一つとして酒類専売を行いました。
国の財源確保策
1896年6月2日には消費税局が、消費税及び酒類管理局に改造されました。
ウイッテ伯が酒類専売制度を実施して以来、酒類に関する仕事がこの消費税務局内における主たる事業となりました。
この時すでに各県における酒類専売事業は非常な進展を見るに至り、この改革は極めて重要な性質を帯びていました。
局長にはマルコフが任命されました。
この人は最も尊敬に値する立派な人物でした。その全閲暦を消費税局ですごし、この時なお前消費税務局長グロトにとって消費税局の編成係にに任じられていました。
彼は軍人として教育を受け、それから税務方面へ移ってきた人でした。
この改革は、アレクサンドル三世帝の名で実施された酒類専売制度がすでに確固たる基礎を持ち、次第に全ロシアに普及されようとしていた事を物語るのもでした。
1903年8月、ウイッテ伯が大蔵大臣の職を辞した時は、酒類専売はすでに遠隔地方の数県を除くはか、ほとんど全ロシアに施工されていたのでした。
しかしこれを以て事業が全く完了したとみる訳にはいかないものでした。
ペテルブルグ県及びベテルブルグ市の一部にこの税法を適用するに際し、ウイッテ伯はある種の障碍にぶつかりました。ですが、それは新帝のお陰で容易に克服する事が出来ました。
事実、この専売はウォッカ製造業者・酒類小売業者、並びに第二流の酒場、ホテル業者等の利益を甚だしく障害でした。
そこでペテルブルグの同業者たちはその対策として,大公に救いの道を懇請するに至っていました。
その大公とは、皇帝の叔父ウラジミール・アレクサンドロヴィチその人で、非常に尊敬すべき人でした。
ですが、ただ世間の実情に非常に迂遠であったように思えました。
大公は、ペテルブルグにこの税法を施行すると必ず流血の惨事が起きるに違いあるまいと言っていました。
この人は軍部の最高幹部であったので、こうした事件には直接的に関係を持っていました。
そこで大公は、この事についてわざわざ皇帝にまで進言したほどでした。
すると陛下は法令実施までの数日間と言う言う物の、非常に心配して、実施すべきか否かについて疑惑を抱いた様でした。
しかし、ウイッテ伯の簡単な説明によって、陛下は直ちに安心しました。
かくてこの法令を実施した時も、極めて平穏に経過して行われました。
国家財政確保の為、ウイッテ伯は酒類専売制度を進めたようです。
この国家資金を集めたのが、将来の戦争拡大につながったのではないのはと思ってしまします。
