第三章 日露間の朝鮮問題協約
第十段 ニコライ二世の独帝訪問



戴冠式が終わり、博覧会に出席した後、ニコライ二世帝は欧州に旅行に出かけました。
ニコライ二世帝の欧州旅行
両陛下は、その後間もなく再び外遊の途に上がった。
ドイツ、デンマークの両皇帝を訪問し、更に9月12日にイギリスに着し、皇后の祖母にあたるビクトリア女王の客となり、9月23日にはフランスに渡って大統領を訪問しました。
両陛下が各国至る所で熱烈な歓迎を受けたのは言うまでもありませんでした。
また、フランスにおいて陛下の訪問をを特に歓迎したのは次の様な理由があった為であると思わります。
その一つは、ロシア皇帝のフランス訪問は、先々代皇帝アレクサンドル二世がナポレオン皇帝を訪問した際に不逞ポーランド人ベリョゾフスキーの狙撃事件以来の訪問であった事であると思います。
その二は、先代皇帝アレクサンドル三世が創意により成った露仏同盟を堅固に維持する意を今回の訪問をもって明示する事だと思います。
その三は、陛下の来仏が、フランス人自身の何でも愉快に物事を楽しむ気風に満足できたことだと思います。
フランス人は自分たちは共和制の国家の住人でありながら、伝統的に王者を敬愛する傾向があるのでしょう。
世界で五分の一の面積を保有する独裁国家の君主に対して尊敬の念をもってこれを皇帝滞在の一週間をロシア週間と名付けて敬意を表したのは、誠に不思議なようで、実は何の不思議もない事であったのだと思います。
その後、両陛下は皇后のダルムシュタットに立ち寄り、10月19日にツァルスコエ・セロにご帰還されたのでした。
当時のドイツ皇帝はヴィルヘルム2世、デンマーク国王はクリスチャン9世 、イギリス女王はビクトリア女王、フランス大統領はフェリックス・フォールです。
ロシア暦9月12日、9月24日イギリスに到着。
ロシア暦9月23日、10月5日フランスに到着。一週間ほどいたかもしれない。
ロシア暦10月19日、10月31日ツァルスコエ・セロへ帰還。
フランスで起きたアレクサンドル二世狙撃事件については、しらべきれませんでした。