第三章 日露間の朝鮮問題協約

第九段 ニコライ二世の墺帝訪問
ニコライ二世帝は、ニジニ・ノヴゴロドでの博覧会出席の後、オーストリアへ旅行に向かいます。その帰りの工程で、外務大臣ロバノフ候の身に…。

ロバノフ候の突然死
ニコライ二世陛下及び皇后陛下は7月20日にニジニ・ノヴゴロドをご出発され、ペテルゴフに向かわれました。
超えて、8月13日同地ご出発され、オーストリアの老帝を訪問する為にウィンに旅行されました。
二日間滞在の後にキエフへ御帰着されました。
その途次、キエフに近い一駅において外務大臣ロバノフ候は心臓破裂で急死したという報が発せられました。
実に国家の為に痛惜に堪えないことでした。ロバノフ候は時務にあたって時に軽はづみな欠陥は有りましたが、大体において聡明練達の士でした。
天がもしこの人にさらに数年のあたえたならばロシアはあのような危道を行くことなく、日本と戦って見苦しい失敗を招くことなしに過ぎたことでしょう。
実に痛歎の至りでした。
ペテルゴフはペテルブルグにある宮殿です。
オーストリアの老帝はフランツ・ヨーゼフ一世帝です。
ロシア暦7月20日なので、8月1日、ニジニ・ノヴゴロドよりペテルゴフへ。
ロシア暦8月13日なので、8月25日、ペテルゴフを出発、オーストリアのウィンへ旅行。
8月27日、ウィンからキエフへ帰る。
8月30日、ロバノフ候、ニコライ二世帝に同行して旅行中に突然心臓病で死去。
旅行は列車で行われていました。ロバノフ候はキエフに到着する一駅前の所で倒れたそうです。
ウイッテ伯も言ってますが、ロバノフ候がもう少し長く生きていたなら、ロシアの歴史がかなり違ったものだったのではないかと思います。
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