ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その032

ロシアの歴史 タイトル歴史

第三章 日露間の朝鮮問題協約

第七段 李鴻章の忠言

李鴻章は、満州の地にシベリア鉄道を貫通させるに当たり、一つの忠告をしていました。ロシアはその忠告を尊重できたのでしょうか。

ウイッテ伯の言い訳

清国との秘密協約によって蒙古・満州を経てウラジオストックに至る鉄道を敷設する権利をえたので、政治上にも経済上にも絶大の価値ある道路が手に帰したのでした。
当時、ロシアは特にウイッテ伯は、この鉄道は如何なる事情の下にあっても、侵略の目的を達する機関となってはならないと声明を発表していました。
この鉄道は、必ず東洋と西欧とを文化的にまた物質的に結合する機関とならないければならないものでした。
更にこの鉄道は、黄色人種の文化に比して優勢であり有力であるキリスト教の新文化が、東洋に広い発展を遂げる機関とならなければならぬと声明したのでした。


ウイッテ伯と李鴻章の交情はますます親密になり、お互いに何事も腹蔵なしに話し合う様になっていました。その李鴻章が再三語る事が有りました。
「真にロシアの利益を思うならば、ロシアは如何なる場合にもシベリア鉄道をウラジオストックと結合する線より南に進出してはならない。
この辺の住民は一体に白人を好まない。
白人は彼等の上に何らかの禍を齎らすものであると考えている。
だから、もしロシアがこの辺に進出する様な事があれば、それは必ず政治上の動揺を惹き起こし、ロシアのためにも意外の災禍を将来することになる…。」 


平和の権化とまで称された先帝アレクサンドル三世の意図を忠実に遂行する事を畢生の事業と考え、また「人は如何なる場合にも自己に等しき者を殺す権利を持たない」というキリスト教の訓戒を信条とする私に対しては李鴻章の忠言はさほど必要のこととは思わなかったのでした。
しかしそれを特にここに記述するのは彼がいかに傑出した大政治家であり、如何によく数年後の成り行きを洞見していたかを後世の人々に知らせる為でした。


ニコライ二世帝は実に人間が持ちうる限りの崇高な資質を具えていました。
清国との協約も偏に平和の目的を達成するための手段として考慮されたに他ないっことでした。
ウイッテ伯もそれを確信していたから李鴻章の忠言の如きは陛下に伝奏する必要をすこしも見なかったのでした。
清国との協約を秘密にしたことも、それが清国の敗北に終わった日清戦役の結果をつけるに当たってロシアが清国に与えた精神的支持の代償として獲得した権利という意味からでなく、日本をして再び武力をもって東洋の平和を乱すこと無からしめるために、これに対抗する意味を含んでい居るからに過ぎなかったのでした。

今回のまとめ

  • ロシアは、満州の地にシベリア鉄道を貫通する事は、侵略の目的に使用してはいけないと考えていた。
  • ウイッテ伯は、黄色人種の文化に比べて、優秀なキリスト教世界の文化を、東洋に広めるべきだと考えていた。
  • 李鴻章は、満州の地にロシア人が入って来る事を、現地人が歓迎しない事を知りながら、協約を結んだ。
  • 李鴻章はシベリア鉄道を南下させれば、必ず問題が発生する事を、ウイッテ伯に伝えていた。
  • ウイッテ伯は、専制政治を強く推し進め、言論・言語・宗教を統制したアレクサンドル三世の事を、「平和の権化」であると思っていた。
  • ウイッテ伯は、清国との間に結んだ協約は、平和の達成の目的の為にあるとニコライ二世帝が考えているはずだと、思っていた。
  • 清国との間に密約を結んだのは、東洋の平和を乱す日本の武力に抵抗する為だった。

この段は、ウイッテ伯の満州政策失敗の言い訳の為にあるように思います。
シベリア鉄道は、〈ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その018〉でも触れたように、国内の物流の強化でした。
つまり内需強化です。西欧と東洋を結び、外需を強化する為ではありませんでした。
当初の計画通り、国内の町から町へ路線を結べばよかったのです。

ロシアは、この後、満州で排他的政策を執り、清国住民から、また列強国からも非難されて行きます。決して平和的な政策では、有りませんでした。

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