第三章 日露間の朝鮮問題協約
第五段 フランス大使館の夜会
ホドゥインカの惨劇が起きたその日の夜、駐露フランス大使主催の夜会が有りました。参加者の心中はどの様なものだったのでしょうか。
セルゲイ大公の言い文
5月18日、戴冠式挙行の当日、フランス大使館の夜会が開催される予定でした。
フランス大使モンテペロ伯爵は、夫人の資産の力と夫妻の人柄とで上流社会に持てはやされていました。
従って無論両陛下や皇族方も臨場されて、その夜会が盛況を呈すべきは人々の予想するところでした。
ウイッテ伯はその席上で内務大臣やモスクワ総督セルゲイ大公と顔を逢せていました。
その時大公はこの様な事を言いました。
「あんな事があったので、宮内官のうちには大使に通知して今日の夜会を中止するか、少なくとも両陛下の出席をお取り止めになる方がいいという意見を述べた者も少なくない様子であった。
しかし陛下はあの事件はあの事件として、それが戴冠式の盛儀に暗影を投げてはならない(なお露骨に言えばあの事件は偶然の出来事して、いい加減に揉み消してしまう方がいい)というご意見であった」
大公の話を聴きながら、ウイッテ伯は今朝、李鴻章との会話を思い出していました。
また、皇位にある者の恐るべきは、悪性の忠告者であると思うのでした。
陛下が資性善良であり、彼をしてその心の赴くままに行わしめたならば、この日の彼の行動はきっと別の物であったであろうと思い、ウイッテ伯は深く嘆息するのでした。
ロシア暦5月18日は、グレゴリオ暦で5月30日になります。
つまりホドゥインカの惨劇があった日です。戴冠式は5月26日なので、「戴冠式挙行の当日」ではなく、「祝賀会の当日」だと思います。
フランス大使館主催の夜会は、当然事前にこの日に行う様予定が立てられていたことと思います。ウイッテ伯はこのタイミングの悪い夜会を開く事を、疑問に思っているようです。
ロシア宮内省の臣官も同様に考えていたようです。
ですが、中止または延期を大使館側にロシア側は依頼しなかったようです。
ひょっとしたら、フランス大使館から密かに開催しても良いか確認ぐらいしているかもしれません。
いづれにしてもホドゥインカの2000人の犠牲者をよそに、陛下の戴冠を祝う夜会は開かれました。
李鴻章は、自分だったらホドゥインカの惨劇を隠蔽して陛下の耳に入らないようにすると言っていました。
惨劇の4時間後にその場に陛下を迎え、祝賀会を開くというのですから肝が据わっていると思います。
これは考え方を変えれば、惨劇の責任を全部自分が引き受けると言う事ともとれます。
事件の責任者と言われたセルゲイ大公が、陛下を利用して惨劇は大したことではないと広報し、自分の責任を逃れようとしていて、その事をウイッテ伯は嘆かずにはいられないのでしょう。
