第二章 李鴻章と東支鉄道利権交渉

第十段 東支鉄道会社の創立
李・ウイッテ秘密協約が結ばれた後、より細かに東支鉄道の利権についても協約が結ばれました。ロシア・清国の国交の基礎であり、ロシアの極東における勢力の基盤が確保されました。
東支鉄道関連の協約を結ぶ
この協約によりロシア・清国の主権者の批准を経て、効力をもつことになります。
これが両国国交の基礎となり、同時に極東におけるロシアの勢力を確保するものとなるのでした。
李鴻章は協約調停後もしばらくモスクワに滞在していました。
当時の記録を調べてみると、戴冠式参列の為に各国から来た皇族・大官等の動静や、陛下がこれ等の人々に応対した模様はいちいち詳細に公文書にされているのですが、李鴻章に関しては殆ど何らの記事は見当たらないのでした。
彼の来朝が単なる祝典参列の為でない事を語ると同時に、如何によく協約締結の秘密が保たれたかを證するものでした。
ただ、この協約の一部、すなわち満州の地にシベリア鉄道の延長と言える東支鉄道の建設を露清銀行に特許した事だけは間もなく周知の事実になってしまいました。
東支鉄道利権に関する協定もウイッテ伯自身で完了させたく思っていましたが当時、酒類専売問題が緒に就いた各地を巡察する要務を抱えていました。
この要件を終わらせるまで李鴻章をモスクワに滞在させ続けさせることも、世間の事情が許されず、この件についてはロシア・清国双方で更に適当な全権委員を任命するになりました。
ロシア側はウイッテ伯の部下である大蔵次官ロマノフ、清国側は駐露兼駐独清国公使が選任されました。
ウイッテ伯は、ロマノフに協定案の取るべき形式、必ず獲得せねばならない権利、等いっさいを指示しておきました。
協定は極めて順調に成立し、間もなく両国主権者の批准を得るのでした。
ウイッテ伯の頭の中では、東支鉄道をどのおうに扱うかすべて考え尽くされていたのだと思います。
絶えず先頭に立っててきぱきと仕事を進めていく様子が思い浮かびます。
この段のまとめ
- ロシア国内における李鴻章との秘密協約の隠蔽性はかなり高かった。
- ウイッテ伯はこの当時、酒類専売問題を抱えて忙しかった。
- 東支鉄道利権の協定調停にウイッテ伯はサポート役だった。