第二章 李鴻章と東支鉄道利権交渉

第二段 対支財政援助と露清銀行
ウイッテ伯は敗戦で資金に苦慮する清国の為に財政救済策を練ります。
ロシアの資金救済策
ウイッテ伯は日本に遼東半島を清国に変換するよう交渉している間、清国に対して、もし清国が必要とする外積を募る場合にはロシアはその成立に助力する決意がある事を告げていました。
敗戦時に巨額の外積を募ることが清国だけの信用では出来ない事は最初から知れ切っていました。
債務に対して清国が関税その他自国の収入をもって担保に充てるのはもちろんでありますが、支払いが怠ってしまった場合でも、ロシア帝国がこれを代償するという保証を与えれば外積を募れると説明したのでした。
ウイッテ伯はパリの銀行家と交渉して、諸銀行から応募させることにさせました。
ネリス及びホッテンゲルなど銀行の代表者をロシアに招き打ち合わせを行ったのはウイッテ伯でした。彼らフランスの銀行家は、清国に銀行を立てる事が出来るようになったのでした。
これが露清銀行の創立でした。
この銀行はフランスの資本を基本にして、ロシア政府からも相当の出資をし、清国も多額の預金をして盛んに業務を行いました。
この後ロシアは関東州を占領して清国国民から反感を招き、次いで日露戦争が起こったことで露清銀行の基礎に亀裂が入り、結局他の銀行と合併して露亜銀行の行名で営業することになったのでした。
対支とは清国に対してと言う意味です。対支財政援助は清国に財政援助を行うと言う事です。
日清戦争の賠償金は2億両、遼東半島の代償金は3千両でした。清国は7年でこれらを支払うことになっていました。
ロシアは清国に遼東半島を取り戻し、資金調達の手助けをした恩を売ることが出来ました。
フランスもロシアと協力して清国に金融機関を進出させることが出来ました。
ただ、ドイツだけ何も利益を得る事が出来ませんでした。
日本から恨みを買っただけかもしれません。