ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その016

ロシアの歴史 タイトルロシア

第二章 李鴻章と東支鉄道利権交渉

第一段 馬関条約とロシアの干渉(2)

ウイッテ伯は、日本と清国の間で結ばれた条約の履行を妨害する事にしました。

ロシアが極東に進出した理由

ロバノフ候が外務大臣に任命されたばかりで、まだ事務をとる遑もない間に、日清戦争は終局して、馬関条約が締結されました。
ウイッテ伯は、この条約はロシアにとって甚だ勝手が悪い物に感じました。
何故なら、今まで海を隔てた隣国であった日本が、この条約によって一転して大陸に地歩を占めて、その一角に利害関係を有することになり、しかもその地域は将来ロシアの東洋発展に重大な関係を持つ所であるからででした。


ニコライ二世帝も極めて漠然とではありますが、極東にわがロシア帝国の勢力を伸張して見たいという志望を抱いて居るようでした。
尤もそれは何等かの政治的見地から一定の方針をもって計画されたのではありませんでした。
ただ、極東が皇太子時代に回遊の地であり、またその時ははじめて宮廷や世間のうるさい耳目の圏外にあって自由に行動し得たいという縁故のある地でした。
そのため、ただ何となくこの方面に進出して、そこの領地を拡張したいという程度のものであったらしいです。


既に皇帝にそういう希望があることを知った以上、ウイッテ伯が、それを無視することが出来ない事は当然でした。
依って彼は日本が遼東半島を領有することを主眼とするこの条約に対して、周到に考慮を巡らせました。
多方面から利害得失を考量し、次の結論に達しました。


ロシアの為、強大ではあるが活動的素質のない清国の隣接国ある事を地理的状況を利用し、ロシアの保全、帝国の将来の繁栄を保証する事を達成する良策をめくらせることでした。
故に日本が大陸に根幹を張り、遼東半島の様な北京の生死を脅かす場所を領有させる事は到底容認できないのである。
この結論に基づいて、日清両国間に新たに成立した条約の実行を妨害する必要があることを提議しました。

馬関条約とは現在では下関協約と呼ばれることの方が多いです。1895年4月17日に締結されました。
ウイッテ伯は、日本が大陸に進出する事はロシアの東洋発展に勝手が悪いと言っています。
東洋の発展ではなく、ロシアの東洋発展です。
つまりロシアこそ、その日本の立ち位置にあるべきであると言う事です。


まとめると。
陛下はアジア方面に旅行したことがある。見知った場所を領有したいと思う。
臣下として陛下がそう思っているなら実現させるべき。
陛下の希望はロシアの希望である。今、日本がそれを邪魔しようとしてる。
日本のやる事をロシアの国政として邪魔しよう。
と言うプロセスです。

妨害実行会議の行方

ウイッテ伯の提議に対して、陛下は重臣達にこの問題を熟議すべきことを命じました。


会議は直ちに外務大臣の官邸で開かれました。
アレクセイ・アレクサンドロヴィチ太公が議長、陸軍大臣ワンノフスキー、参謀総長オブルチェフ、海軍大臣チハチェフ並びに外務大臣と大蔵大臣のウイッテ伯が列席しました。
ロシアの利益は、清国が今後も長期間、現状のままにしておきたい。
将来性の無い清国を現状維持させる為、領土保全と独立維持の原則を支持する事が必要であるとウイッテ伯は力説しました。
ワンノフスキーだけが賛同しました。
オブルチェフは賛否は告げず、妨害した場合にどの様な現象が起きるかについて述べるばかりでした。他は、何の一定の意見も述べませんでした。


会議は次に「如何にしてウイッテ伯の意見を実行するか」になりました。
「我々は主義として清国の領土保全とその独立を破壊する様なことを容認し得ないのであるから、今度日清間に成立した条約に同意する事はできない。
但し日本が戦勝国として軍費を補填する為に相当額の賞金をとる事には異議はない。
という意味の最後通牒を日本に送るべきである。もし日本がこの通牒に同意しないときは、我々は積極的行動をとる他にない。
この提議を貫徹するためには日本の或る地点を砲撃する位のことは実際やむを得ないことである。」


ウイッテ伯はかなり具体的に主張しましたが、列席者の多くが賛否をはっきり名言しなかった為、一定の決議を得るまでに至りませんでした。
議長は裁決もとることをせず、経過だけ陛下に奏上しました。

すると、陛下は更にこの会議に列席した内の数人を御前に召集して、再び会議を開きました。
参加者はアレクセイ太公、外務大臣ロバノフ候、陸軍大臣ワンノフスキー、大蔵大臣ウイッテ伯の4人でした。
ウイッテ伯は、前述の意見を強硬に主張しました。
他の列席者はあまり多くを言いませんでした。

陛下はウイッテ伯の意見に同意して、外務大臣にその遂行を命じました。
その後の外務大臣の行動は甚だ巧妙を極め、ドイツ、フランスの二国に交渉の同意を得て、日本に最後通牒を送りました。
日本は、この提議を承認する他ありませんでした。
日本から遼東半島還付の代償として巨額の代償金を要求してきましたが、当然の事とウイッテ伯は考えていました。
ロシアとしては、清国の領土保全とその独立を名目として日本に迫り、それを受け容れられればそれで良く、賠償金の多寡、その他に関しては何ら干渉せず言動を避けました。

干渉の動機は
国際的には、隣国の領土保全と独立の為、
国内的には、活動的で無い清国は現状維持させておいてロシアの利益が得られる機会を狙う為、
そしてウイッテ伯個人的には、陛下がアジアに領地を欲しがっているぽいからこれをやれば受けがいいだろう、
と言う事でした。


三国干渉を勧告した時期の日程を予想してみなす。
3月10日;ロバノフ候、外務大臣に内定
4月1日;日本より清国へ講和条約の条件提示(蹇蹇録)
4月6~11日ごろ;ウイッテ伯出張から帰る(予想)
4月12日;ウイッテ伯、ニコライ二世帝に謁見
4月14日;ゴレムイキン内務大臣に内定
4月15日~;早ければ妨害実行会議を開催しているのでは
4月17日;下関条約締結
4月20日;日本外務省にドイツより連絡はいる(蹇蹇録)
4月23日;ロシア・ドイツ・フランス三国干渉を勧告


講和条約の条件は4月1日に清国へ伝えますが、それは清国政府経由で欧州列強にリークされていた可能性があります。(蹇蹇録)
2月初めごろのフランスの新聞に、日本に清国の領土を渡らないように列強は介入するべきであると社説が記載されているそうです。(蹇蹇録)
ウイッテ伯は出張中であっても、介入する目的と動機を考慮する時間は十分にあったのだと思います。
12日にニコライ二世帝に謁見してアジアへの介入の気があるか確認して、会議の参加メンバーに連絡を入れたのではないでしょか。


それにしても、外務大臣ロバノフ候の仕事はすごいですね。
15日に会議が開催されたとしても、19日までにドイツを説得、22日までにはフランスも説得してまとめ上げたことになります。

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