ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その011

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第一章 ニコライ二世帝統治の初期

第九段 交通大臣の解職

ワルシャワ総督の更迭に引き続き、今度は交通大臣が解職しました。

大臣解職の理由

続いて12月17日に交通大臣のクリウォシュインが解職され、ヒルコフが新たに交通大臣の座に着きました。
クリウォシュインは聡明な老練家でしたが、交通大臣として必要な鉄道の知識は亜lまり持ち合わせていませんでした。それでも彼が交通大臣になれたのは、当時蔵相であったウイッテ伯がアレクサンドル三世帝に推挙したからでした。
彼はウイッテ伯のお陰でその地位を得られたのですが、彼は他人の尽力によっての評価であることを隠したがるようになり、次第に付き合いが悪くなり、関係を断ってしまったそうです。そればかりか自分に有利だとみれば、敵対するようになり、そうゆう醜い行動によって自分の独立を示そうとしました。
クリウォシュインは交通大臣になってから、その流儀でウイッテ伯から離れようとしましたが、彼は鉄道の知識が乏しく、また、国家的見地から見て何ら権威を表すことが出ないでいました。彼が交通大臣の地位を維持できたのは、鉄道や一般交通の事に明るい彼の下僚たちのお陰でした。
彼には、他の多くの大臣たちと等しく或る欠点がありました。クリウォシュインは、大臣になるや否や忽ち官金を以って豪壮な邸宅を作ったりしました。
ウイッテ伯は、その公金私的流用の証拠を掴めずにいました。が当時会計検査院長のテルチ・イワノウィチ・フイリッポフはこの様に話していました。
「クリウォシュインは彼専属の寝台列車を造ったことがりました。また、南露の方に小鉄道を敷設して自分の領地を悉く鉄道で巡るようにしたりしていました。」
ウイッテ伯は、これらの事は事実であろうと思いました。
フイリッポフはこの事をニコライ二世に申告しました。その報告書によって、クリウォシュインの醜態は暴露されました。

当時のロシア宮廷内では汚職を多かったようです。大臣職に就くと公金を私的流用し始めるようです。問題なのはこれらの事件を取り締まるところが無いことだと思います。
クリウォシュインの件も陛下へ密告があって明るみに出ました。警察では取り締まれないのでしょう。警察庁の長官も貴族だったり軍人だったりするし、大臣職に就く人物も貴族・軍人です。互いになあなあに泣ているのだと思います。
ウイッテ伯も多くの大臣達が公金私的流用等あることは、気が付いているようです。それでも積極的に不正を是正しようとしていないように見えます。

ニコライ二世帝の対応

ニコライ二世帝の即位から二か月後の事件でした。陛下が大臣の不正行為にぶつかった最初で,天性極めて正直な陛下を困惑させたのは当然でした。陛下はまだまだ若く人間の汚れを知らないのでした。

この事実から特にひどい衝撃を受けて彼は、たちどころにクリウォシュインを馘首しました。それ以来多くのクリウォシュインの同類たちは深く考えさせられるようになりました。

ニコライ二世帝は楽園の住人でした。自分に忠誠を誓を立てた臣下達が不正など働かないと思っていたのでしょう。
或る意味でニコライ二世も大人の階段を登ったと言う事だと思います。
犯罪がそこら中にあることは判っているんですよ。ただそれが自分の身近で起こる事が想像できなかった、と言う事と思います。
自分だって、会社の同僚や自分の面倒を見てくれている上司がある日突然犯罪者として警察に捕まれば驚愕の思いをすると思います。心構えの問題ですね。犯罪は存在する。ならば自分の身近で起きることもありうる。

クリウォシュインの後任はだれ

ウイッテ伯は、クリウォシュインの馘首ついての顛末は全然意外でした。官報の記事でしりました。が、彼は全然それに興味は覚えませんでした。
彼の馘首を知ったのは金曜日でした。ウイッテ伯が皇帝の書斎に通ると、陛下は
「どうかこの指令を聞いてくれ給え」
陛下は予備海軍大尉カジーを交通大臣に任命する指令を読み上げました。
カジーは頭脳も、性格もとても優れており、海軍およびそれに近い事柄であればの一流の人材でした。また、海軍省のリバウ軍港計画に反対の方針を持っていました。なので、ムルマン旅行の時も彼を同伴させ、ムルマン報告書の草案作りにも大いに係っていました。ただ、鉄道関連の仕事の経験がないことをウイッテ伯は、知っていました。

ウイッテ伯はクリウォシュインの馘首が意外に感じたようです。罰が重すぎると言う事でしょうか。ウイッテ伯は大臣ぐらいになれば、権力と公金を私的流用することが、当たり前のように感じているのでしょう。
クリウォシュインはウイッテ伯の推挙で交通大臣になった人物です。その人物が汚職で馘首になったのですから、もう少しウイッテ伯も責任を感じてもよいように思いました。

なぜカジーなのだろう

ニコライ二世帝の義理の弟であるアレクサンドル・ミハイロヴィチ太公は、カジーを非常に庇護していました。
理由は第一にカジーが優秀な人物だったから。
第二に先帝の弟のであるアレクセイ・アレクサンドロヴィチ太公の海軍提督の地位を狙っており、リバウ軍港派のアレクセイ・アレクサンドロヴィチ太公に対抗する為、ムルマン軍港派のカジーを仲間に引き込みたかったからでした。
ウイッテ伯は、ニコライ二世帝のカジーを交通大臣にするという人事にアレクサンドル・ミハイロヴィチ太公の入れ知恵があったと奸くぐっていました。
そして、ウイッテ伯はアレクサンドル・ミハイロヴィチ太公は、海軍提督になったら、必ず海軍内に問題が発生すると考え、アレクサンドル・ミハイロヴィチ太公の思い通りにならないようにした方が良いと考え、次の様に言いました。
「陛下もご存知の通り私はカジーを非常に高く評価しています。が、カジーを交通大臣にすることは全然不可能と思います。なぜなら彼はその仕事に全く暗いからであります。クリウォシュインが私の後で所内をまるで滅茶苦茶にしたばかりの所ですから、一層注意を要します。何か他に彼の専門の仕事にカジーを抜擢するべきであります。」

ウイッテ伯は、太公どうしの権力争いに皇帝が巻き込まれると推測したのかもしれません。ある意味お家騒動の序章になっていたかもしれません。

では誰にする

ウイッテ伯の反対は陛下の意に満たさぬように見えましたが、陛下はウイッテ伯に問いました。ウイッテ伯は自分の次官を務めているアナトリー・パウロウィチ・イワシチェンコフを推挙しました。
イワシチェンコフは非常に潔癖な人物で、それにほれ込みウイッテ伯が交通大臣を務めていた時に次官に抜擢しました。彼は交通省内でも不正事件が多い水運・道路工事を仕切った人物でした。
陛下は「イワシチェンコフの件は考慮しておく。」と答えました。

決まらない?いやこれで決定

次の報告の際、陛下はウイッテ伯に言いました。
「イワシチェンコフの件は考えてみたが彼の任命は不可能と認める。」
彼がウイッテ伯の直属の下僚である為、そのイワシチェンコフを交通大臣に任命したら周囲の者からこう思われるだろうからでした。
「陛下はウイッテに左右されて何でもやっている。」
さらに陛下は
「大体イワシチェンコフは僕は気に喰わぬ。彼を任命したくはない。だから再びカジーの任命に心が傾いたのだ。」
ウイッテ伯は陛下に向かって極力それを諫めました。
陛下は「では君は誰を任命しろと言うのか。」と聞き返します。
「ヒルコフ侯爵でございます。」
「僕は全然彼をしらぬが・・・。」
「陛下、御母君にお訊ねなさるがよろしゅう御座います。私は確信します。陛下がもし、私がヒルコフを推挙した由をお話になれば、御母君には必ず私を御支持なさるでございしょう。」
ウイッテ伯がなぜこのような事を言ったかと言うと、陛下がすでに皇太后と人事について相談していることを知ったからでした。イワシチェンコフが任命から外されたのも皇太后の意見だったのでした。
ならば、皇太后に特別に信任の厚い人物を推挙すれば良いと言う事で、ヒルコフ侯爵の名を挙げたのでした。
ウイッテ伯が自分の省に帰ったのは、午後零時半ごろでした。ところが三時にはすでにヒルコフ候がやって来て、陛下に拝謁した事、思いがけなく急に交通大臣を拝命した事を伝えたのでした。

ニコライ二世が年長の身内に頭が上がらない事をこれで見抜きましたね。
ウイッテ伯は、これでニコライ二世を攻略できたのではないでしょうか。皇太后の付近に人員を配置とかして工作したのかな。

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