第一章 ニコライ二世帝統治の初期
第五段 新帝に対する外部の影響
新米皇帝のニコライ二世には、経験も国家運営のノウハウも不足していました。従っていろいろな勢力の手綱に、とりわけ太公達の手綱に引っ張られて行きました。
手綱
ニコライ二世帝の即位したての頃、彼に大きな影響を与えたのは母親の皇太后でした。それは長く続かなかったが、次に不断の影響を与えたのは太公たちでした。
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ太公、アレクセイ・アレクサンドロヴッチ太公、セルゲイ・アレクサンドロヴッチ太公。この太公はニコライ二世帝の叔父、先帝の兄弟です。ニコライ二世から見れば、遥かに多くの経験と力を持つ人々として映じていました。皇帝が幼い時、すでに国家の枢要な地位を占めていた人々でした。



ウイッテ伯は回想録を執筆しているころ、たぶん1910年ごろだと思いますが、ニコライ二世帝を次のように評価しています。
「彼はもう15年間も国政を執り、多くの体験と博い見分を得た。彼自身誰よりも多くの経験と知識を持っていると確信している。
従って、少なくとも国家という機械の運転を体得しているのである。だが、そんなことは無論、皇族たちの誰一人知るものはない。」
1910年ごろのニコライ二世帝は、皇帝としての能力を身に着けて生きてるのに皇室内の評判はあまり良くなかったようです。また、15年勤めれば皇帝になれるということでしょうか。
アレクサンドル三世帝の兄弟太公たちへのウイッテ伯の評価は、
「彼ら太公達は皆、相当の教養のある立派な人たちであった。ただ、惜しむらしくは彼らが太公であったばかりに、屡々自分の知識や才能や教養にそぐわぬ役割を演じていたということである。」
太公にふさわしい能力のない人たちと言う事です。
アレクサンドル三世帝はどうだった
アレクサンドル三世帝の時代には、太公達が小さくなっていました。先帝は彼等を抑えつけて局外者には決して政務に容喙させませんでした。充分にそうできる実力もありました。太公達も先帝を愛したと同時に恐れていました。
アレクサンドル三世が即位した時、彼は36歳でした。また、先帝アレクサンドル二世の兄弟太公もいました。
ドイツのヴィルヘルム二世は29歳で即位してます。鉄血宰相ビスマルクを追い出して自分の国家作りをしました。
ニコライ二世は26歳で即位しました。ニコライ二世が年長者に対して親族的尊敬を拂っていました。
ウイッテ伯は、それは彼の弱い性格と気質によるものであると言っています。情に流されやすいと言う事だと思います。