第一章 ニコライ二世帝統治の初期
第二段 旧臣等の新帝ニコライ二世評
ウイッテ伯は、後にアレクサンドル三世崩御当時の事を思い出すたびに、知人達とニコライ二世新帝の評価話をした事を思い出すそうです。

ウイッテ伯の評価
「まったく無経験な人ではあるが、愚かな人ではない。非常に教養のある青年という印象っだ。彼の持つ教養があらゆる欠点をかき消すだろう。」
無経験な人とは、皇太子としてあまり政治にかかわっていなかったのでしょう。教養があってもその身に着けた知識を駆使してよりベターな判断ができなければ、愚か者になってしまうと私は思います。
内相イワン・ニコラエウィチ・ドゥルノヴォの評価
ウイッテ伯の評価に対してドゥルノヴォ伯はこう答えました。
「今にごらんなさい。あの人は現代のパウル・ペトロヴィチ皇帝になるでしょう。」
パウル・ペトロヴィチ皇帝とは、パーヴェル一世のことです。先帝エカテリーナ帝が自由主義的政治を行っていたことに反してパーヴェル一世は反革命的・絶対君主的な政治を行いました。1901年に自分を護衛するはずの近衛兵によって殺害されました。ニコライ二世も民衆から見放され、ロマノフ朝最後の皇帝になってしまいました。ほぼ予言ですね。
コンスタンチン・ペトロウィチ・ボベドノスツェフの評価
ニコライ二世の傅育官(ふいくかん)であったボベドノスツェフ曰く。
「若さと無経験との為に悪い感化を受けかねない。」
傅育とは「身分の高い人の子に付き従って大切に育てること。」〔goo辞典より〕だそうです。てかあなたが指導する立場だったではないですか。