ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」その001

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ロシア最後の皇帝ニコライ二世に仕えたセルゲイ・ウイッテという人の回想録を読み、
その感想を書き込んで行きます。

ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」より。セルゲイ・ユリエヴィチ・ウィッテ

ロシアのどの時代

ニコライ二世が戴冠する前年の1894年から第一次世界大戦の終わる1917年ごろの資料になります。

ウイッテ伯ってどうゆう人

セルゲイ・ユリエヴィチ・ウィッテ、1849年(日本では嘉永2年、江戸時代)06月29日 グルジア(現、ジョージア)のチフリス(現、トビシリ)生まれです。当時はロシア帝国領でした。

1870年大学を卒業。理論数学の教授になるつもりっだらしい。知人らからは、数学研究者などの職業は「貴族や上流社会出身者にふさわしくない」と煙たがられていたらしい。

1871年に知人に説得されて、運輸関係の公務員になる。

1889年に大蔵省鉄道事業局長、1892年運輸通信大臣を務め、その年に大蔵大臣になる。シベリア鉄道計画を1891年に起工させ仕切った。

1895年、日本と清国とのあいだで勃発した日清戦争後の下関条約で、日本側が獲得した遼東半島を三国干渉で割譲を手放させた。

1903年大臣委員会議長を務めた。1905年7月、日露戦争後ポーツマス条約のロシア側の担当者になった。

1905年11月から帝国首相を1906年6月まで務め、専制君主制から立憲君主制への政治改革を行った。

1915年3月13日、ペトログラードの自宅で死去。脳腫瘍であったらしい。

ウィキペディア(Wikipedia)「セルゲイ・ウィッテ」より

この書籍について

ウイッテ伯回想記「日露戦争と露西亜革命」は昭和5年(1930年)ロシア問題研究所より発行。
大竹博吉が翻訳、監修した。大竹はロシア、ソ連の研究家。

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