Wednesday,March,22nd,2023 晴れ
とあるサイト(国立公文書館)で勉強させてもらっていたのですが、このような資料がありました。
露国皇太子殿下ご結婚の件(明治27年)

それでこのような解説がついています。
明治25(1892)年7月に松方正義が辞職した後を受け、第2次伊藤内閣を組閣します。
明治27(1894)年4月、ロシア皇太子ニコライは、イギリスのビクトリア女王の孫にあたるドイツ人、アレクサンドラ・フェオドロウナ(ヘッセン・ダルムシュタット公女)と結婚。
以下省略
ニコライ皇太子がアレクサンドラ姫と結婚した時の報告書かな。いや、結婚したのは11月だったと思ったぞ。公文書を扱う人達はこれで理解できるのでしょうか。
4月はニコライ皇太子がガンガンとアレクサンドラ姫にプロポーズアタックして、OKしてもらった時のはずです。
つまり、婚約したと言う事です。駐露 西 大使はそれを速報として日本にいる外務大臣に電報したのです。そして外務大臣はその情報を総理大臣にも伝えたのです。
ニコライ皇太子は、5~6年ぐらい前から姫と付き合っていて、プロポーズもしていました。
ですが、姫から断られていました。理由の一つとして姫がプロテスタントであった事でした。
ロマノフ家の一員になるには、ロシア正教徒になる必要があったのでした。
婚約したと言う事は改宗したと言う事です。欧州の人たちにとって改宗って結構大変な事なんじゃないでしょうか。
この資料も、どうせ解説するならそこら辺まで突っ込んでくれるとよかったと思います。
そういえば行政文章で捏造があったとか無かったとは騒ぎになりました。
これも上記の説明と同じで言葉が足らなかったのでないでしょうか。
情報を集めてそれを管理ホルダーに突っ込んで終いにしてしまったように思えます。
集めた情報が利用価値があるかどうかまでしるしておけばよかったにです。
確認が取れなかったとかちょっとメモを加えておくだけで今回の騒ぎは起きなかったと思います。
桜咲いてます
